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2007年12月20日 (木)

【やばいぞ日本】第5部 再生への処方箋(12)

     日本人の医師にも素晴らしい方がおられるのですね。

世界に500人 「神の手」待つ

2007.12.16 03:31

このニュースのトピックス:第23回正論大賞

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顕微鏡を使って手術する福島孝徳さん=12月上旬、千葉県長柄町

「ゴッドハンド」(神の手)、「ラストホープ」(最後の希望)。米医学界でそう呼ばれる日本人がいる。米デューク大教授、ウェストバージニア大教授などの肩書を持つ脳神経外科医の福島孝徳(たかのり)さん(65)だ。

 手がける手術は国内外で年間約600件にも及ぶ。日本に来るのは年8回程度で、2~3週間の滞在中に全国10カ所前後の病院を飛び回りながら、1日3、4件の手術をこなす。

 「今、全世界で僕の手術を待っている患者さんが500人以上いる。手術依頼のメール、ファクスが毎週新たに50~60通も来る。対処しきれない」

 12月上旬、千葉県長柄町の塩田病院福島孝徳記念クリニックで行われた手術を見学した。

 最初の患者は三叉(さんさ)神経痛の60代の男性で、動脈硬化などを起こした血管6本で三叉神経がよじれるという「100人に1人のケース」(福島さん)だ。血管と神経が傷つかないよう保護されながら手際よく離されていく様子を見学者用のモニターで見ていると、この手術が実際は顕微鏡を使った微細な世界で行われているとは信じがたい。

 福島さんの両手とともに、両足も常に動き続けている。顕微鏡のズーム、フォーカス、電気メスなど複数のペダルを操作するためだ。その足は、特注品の白足袋(たび)を履いている。

 「白足袋を履くのは機能性ばかりじゃない。お能の舞台に上がるように、心を引き締めるためです。脳外科は、医者の技術一つで患者さんが元気に家に帰れるか、車椅子(いす)の生活になるか、まひが残るかが紙一重で決まるんですから」

 明治神宮の先々代の宮司である故福島信義氏の二男として生まれた。信義氏は明治記念館の館長も20年以上務めるなど、「明治神宮を復興し、その運営を成り立たせることに一生をささげた」人だ。多忙な父はあまり家庭を顧みなかったが、その代わりに「金のことは言うな。世のため人のために働け」という教えを息子に刻んだ。

 「私は土日も手術、夏休みも正月休みも一切とらない。手術前は、『一生懸命やりますから助けてください』と神様にお祈りします。世のため人のために朝から晩まで働いていれば、必ず神様が見ていて助けてくれる。明治神宮の神様は、心のよりどころであり、支えです」

 手術室での福島さんは冗舌だ。手術を進めながら現在行っている処置を英語で“実況”し、海外などから来た見学者のための説明も行う。余裕があり、上機嫌にも見えるが、看護師や若手医師に手際の悪さが出ると、とたんに厳しい叱責(しっせき)が飛ぶ。

 「言われたことをやるだけなら幼稚園児だ。看護師の免許を持っているんだろう」

 「止血ができていない。この処置で患者さんがどれだけ迷惑するか考えているのか」

 この日2件目の手術は、巨大な脳下垂体腺腫を患う30代の女性。他の大学系病院で2度手術を受けたが腫瘍(しゅよう)を除去できず、ホルモン治療の効果も得られなかった。

 鼻の穴を経由して頭蓋(ずがい)内の患部にメスを入れ、腫瘍をかき出す。「前の手術は2度とも腫瘍に達していないじゃないか」。さらにホルモン剤投与のため、腫瘍が変性してねばねばの状態になっており、摘出が困難を極める様子がモニターの映像から見て取れる。

 「治療方法が間違っている。最初から私のところに患者を送ってくれたら、一発で取れたのに。大学病院は患者を囲い込んで、やり方を知らないのにやるんだ。その治療で患者は一生苦しむかもしれないのに」

 怒りを吐き続けながらも、手術を進める両手両足の動きは休まない。「怒れる神」が、そこにいた。

 ■手術見学を禁止した教授たち

 福島さんは48歳のときアメリカに渡り、南カリフォルニア大学の臨床教授になった。それ以来、活動の拠点はアメリカだ。裏を返せば、日本では教授になることができなかった。

 「異端児」のレッテルがつきまとったからだ。東大医学部卒業後、研修医を経てドイツ、アメリカに5年間留学し、戻った東大病院で「日本の脳外科は戦前のままだ」と変革の必要性を主張した。教授は周囲との軋轢(あつれき)を案じ、学外の三井記念病院(東京)の脳神経外科部長に推した。37歳のときだ。

 そこで福島さんは、脳腫瘍(しゅよう)などを開頭せずに数センチの穴から摘出する「鍵穴手術」の開発に全力を注いだ。症例を集めるため手術件数は三井記念病院で年間600件、週末は他の病院でも患者を紹介してもらい、ピーク時で計900件にも達した。「世界各国から医者が手術を見に来た」という。

 「しかし、私を理解してサポートしてくれた教授は全国で2割程度だった。残り8割は医局の医者に『福島は特別変異だ。もっと平均的な脳外科を勉強した方がいい』と言い、『福島の手術を見に行くな』という教授も珍しくなかった」

 今年10月に開業したばかりの福島孝徳記念クリニックの北原功雄院長(48)は、苦笑しながらこんなエピソードを明かす。

 「テレビ局が取材で手術室に入るときに、見学者の中に『私を映さないで』という人がいる。『ばれたら破門になるから』と」

 福島さんはここでも怒りをあらわにする。

 「この手術は私のやり方でなければできない、ホテル代も払うから勉強に来てくれと言っている。それなのに他国からは教授が来ても日本人は来ないんだ」

 それでも「弟子」と呼ぶ医師が日本国内に20人程度いる。その一人が、前出の北原院長だ。1999年暮れ、初めて福島さんの手術を見た印象を、北原院長は「子供が初めてディズニーランドに連れてこられたような世界」と表現する。

 「美しいんです。手際のよさも、リズムも、血が全く見えないことも。今までの手術は何だったんだと思うほど衝撃だった」。それ以来、勤務がない日は「ストーカーのように追いかけて」手術を見学した。

 「福島先生の手術は、常にやり方が変化している。うまくいかなかった部分、もっと手際よくやれる部分を、日進月歩で改良している。65歳になった今も」

 福島さんは「医師がもっと柔軟に勉強できる環境を、日本でもつくらなければいけない」と主張する。

 「文部科学省は、一人の教授が独裁する大学病院の医局の体制を改める必要がある。韓国の脳外科には教授が5、6人いるし、ドイツは他大学の先生しか教授になれない。日本もそうした体制を見習うべきだ」

 見学した手術室。2人目の手術を終えた福島さんに、前日手術した患者の脳の写真が電子メールで届いた。患部が取りきれていない。険しい表情で「もう1度だな」とつぶやく。その足で、別の患者の家族へ手術の説明に向かった。隣の手術室には、3人目の患者も待っている-。

 “戦場”に立ち続ける姿がそこにあった。

 どうして、日本はこう古い慣習にしがみつくのでしょうか・・・。福島医師のような、方がもっと沢山、日本の医学会から輩出されると良いと思うのですが、今の大学病院の体制とかでは、無理でしょうねぇ・・・。

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