防衛省

2008年5月 3日 (土)

後期高齢者医療制度と自衛隊基地内に格安ゴルフ場 !?

 後期高齢者医療制度の導入とガソリン暫定税率の復活で、益々、支持率が低下する福田内閣・・・。down

生活重視を訴えていた福田首相ですが、様々な食品や電気・ガス代の値上げ等、所得の低い年金暮らしの高齢者の方々の実生活を本当に理解しているのか、疑問ですね。punch



そんな中、経済アナリストの森永 卓郎さんが後期高齢者医療制度について語っています。eye


後期高齢者医療保険制度はこれでよいのか 

2008.04.28

 4月から後期高齢者医療制度がスタートしました。75歳以上の高齢者は、健康保険から強制的に脱退させられ、後期高齢者だけの独立した医療保険制度に加入することになりました。これまでは、自分の子供が加入している健康保険に被扶養者として加入していれば、お年寄りの健康保険料は事実上無料でした。それが、年金支給額が月1万5千円以上の後期高齢者すべてから年金からの天引きで保険料を徴収することになったのです。

保険料は、都道府県ごとに異なりますが、政府の試算だと平均で月6000円ということになっています。平均で月4000円の介護保険料の負担もありますから、軽減措置がなくなると、毎月1万円程度の保険料が年金から天引きされることになります、しかも、後期高齢者医療保険の保険料は、今後急速に増えていくことが確実視されています。厚生労働省の試算では、2015年度に月6000円から7083円になるとされていますが、そんなレベルではとても済まないという見方も出されています。

しかも、それだけの負担をしても、後期高齢者はいままで通り、医療費の1割を自己負担しなければなりません(現役並み所得者は3割)。1割と言っても高齢者が入院した場合には莫大な医療費がかかりますから、その負担は非常に大きくなります。もちろん、自己負担には毎月4万4400円という負担の上限がありますが、この負担限度額についても、今後大幅な引き上げが予定されています。しかも、現在でも食費と光熱費は保険の対象外で、全額が自己負担になっています。つまり、高齢者が長期入院すると、毎月の負担はいまでも10万円近くなるということです。

少ない年金のなかで、それだけの負担が出来ない人がたくさん出てくるのは、明らかでしょう。保険料負担が高まっていけば、なおさらそうした高齢者が増えていきます。そうした場合、年金で払いきれない医療費は、家族の負担になります。それが続けば、お年よりは、家族の重荷になってしまうのです。

福田首相は、後期高齢者医療制度を「長寿医療制度」と呼び直すと決めましたが、この制度こそ、長寿を喜べなくする元凶だと言ってよいと、私は思います。

老後に家族に邪魔にされないためには、老後を迎える前に十分な貯蓄をもっておくことしか、対策がありません。しかし、老後にそなえてひたすら貯金することは、決して豊かな人生とは言えないのではないでしょうか。



これからは、安心して老後の生活を送るには、貯蓄をしておくしかないようですね・・・。think

その貯蓄ですが、遺産となった場合の取り扱いについて語っている方が、




【日本の未来を考える】東京大・大学院教授 伊藤元重

2008.5.3 01:49

このニュースのトピックス:病気・医療

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東京大学・大学院教授 伊藤元重

 ■貴重な「資産」の使い方

 後期高齢者の医療費負担と、東京都の2倍の面積といわれる耕作放棄された農地の存在。一見まったく関係ないこの2つのテーマについて、税という視点から一つの見方を提供したいと思う。

 税の専門家の間では、所得から徴税するのと、資産から徴税するので、どちらがより好ましいのかという議論が続けられている。私は資産からより多くの徴税をするという見方にひかれる。

 たとえば、農地を考えてみよう。一方で、一生懸命努力して耕作して所得を生もうとする農家がある。他方で、主たる所得は役場や工場などの所得にあり、農地は放置しておくか、手間をかけずに少しだけの収量をあげる兼業農家がある。

 もし、土地への税金が軽く所得への税金が重ければ、農業活動を専業とする農家には厳しい税となる。努力して収量をあげるほど税が高くなる。農地をあまり有効に利用しているとは思われない兼業農家や耕作放棄農家は農業所得が少ないのでその分税金が少ない。日本にとってかけがえのない資産である農地を有効に活用しようとする人ほど税金が取られ、あまり努力しない人の税負担が軽くなる、というのはおかしな制度だ。

 農業所得税を軽くし、農地により重い税をかけたらどうなるだろうか。その場合には、農地を有効に使う農家ほど税負担が小さくなる。耕作放棄地を持つ人や収量の少ない兼業農家は土地の税金負担が重くなるので、その土地をもっと有効に利用する農家に売るか貸すことになるだろう。資産税がより効率的な資源の利用を促すことになるのだ。

 では、高齢者医療問題に、この原理はどう当てはまるだろうか。そもそも拡大を続ける高齢者の医療を誰が負担するのか、という問題がこの根幹にある。今のままでは高齢者医療は財政的に破綻(はたん)してしまう。そこで誰かの負担を増やすことが必要となる。高齢者自身の負担を増やすのか、それとも現役世代の負担を増やすのか? 現役世代の負担を増やそうとすれば、消費税や医療保険負担をさらに引き上げることになる。そうした負担増は、現役世代に不公平感をもたらすだけでなく、経済活力をもそぐ結果になりかねない。

 では、高齢者の負担を増やすことは可能だろうか。高齢者負担を増やすべき、などと書けば、高齢者いじめなどといわれかねない。しかし、高齢者の年金所得からの天引きを増やすだけが方法ではない。よく知られているように、高齢者は膨大な資産を持っている。(負債を差し引いたネットの)金融資産の75%近くを60歳以上の人が、個人保有の不動産の75%が50歳以上の人によって保有されているのだ。ここに税をかけるのはどうだろうか。

 ただし、生前ではない。死亡時に課せばよい。資産を持っている高齢者も持たざる高齢者もいるだろう。しかし、高齢者全体で見れば、遺産相続税を重くすることで、現役世代の負担を減らすことができる。遺産相続人は自分たちの負担が増えると言うかもしれないが、そもそも資産は相続する人のものである以前に、高齢者のものではないだろうか。社会の貴重な資産が相続という形で一部の運のよい子孫に相続されるよりは、社会全体のために使われた方がよいという見方もあるだろう。



こういった意見もあるようです・・・。night

そんな、国の医療費が逼迫している時に、防衛省(自衛隊)は、



自衛隊基地内に格安ゴルフ場 「公私混同」民主追及へ

2008年05月03日15時57分

 全国の自衛隊の基地や駐屯地計11カ所にゴルフ施設があり、隊員やOBが無料か格安で利用してきたことが、防衛省の資料でわかった。資料を請求した民主党は、国会などで「公私混同ぶり」を追及する構え。防衛省は「国民の目線で適正か精査し、対応する検討を始めた」としている。

 資料によると、ゴルフ施設は陸上自衛隊が木更津駐屯地(千葉県)に1カ所、海上自衛隊が硫黄島航空基地(東京都)などに2カ所、航空自衛隊が岐阜基地(岐阜県)、芦屋基地(福岡県)などに8カ所。最も広いのは木更津駐屯地内の施設で、23万平方メートルの広大な敷地に9ホールが設けられている。これを含めた10カ所が3から11ホールのゴルフ場で、もう1カ所がアプローチ練習場だ。

 プレーできるのは、隊員の勤務時間外としているが、料金は9カ所で無料、残り2カ所で千~3千円と格安だ。空自の岐阜基地(岐阜県)では家族も利用できる。施設の維持管理費は、主に隊員らでつくる「同好会」が月千~3千円の会費で負担。管理者は国有財産法上、国から許可を受けねばならないが、防衛省は民主党に「自衛隊の福利厚生活動とみなせるので必要ない」と回答している。

 民主党は、守屋武昌前防衛事務次官(収賄罪などで公判中)が隊員倫理規程に反するゴルフ接待を業者から受けた経緯もあることから問題視している。浅尾慶一郎「次の内閣」防衛相は「国民の目は厳しい。基地内にゴルフ施設がある必要性は全く認められない。直ちに全廃すべきだ」と求めている。



 空港特別会計で、職員の福利厚生のため2006年までに全国にテニスコートを約14億円も遣って建設していたり、今回のように福利厚生だからといって、あまりにも民間の感覚とかけ離れた基地内のゴルフ場を全国に建設し、無料及び格安で利用できるようにしていたとは・・・。ng

どうして、福田首相はこういった税金の無駄遣いを減らす努力をしようとしないのでしょうか。sign03









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2008年3月 1日 (土)

イージス艦衝突事故

 次から次にに問題が発覚してしまう防衛省・・・。

イージス艦衝突事故 海幕、大臣了承得ず聴取 次官一転「記録ある」

2008.2.28 23:43

このニュースのトピックス:航空機・海難事故

 千葉県・野島崎沖で起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、海上幕僚監部が航海長を防衛省に呼び事情聴取した際、石破茂防衛相の了承を得ていなかったことが28日、分かった。また、事故発生の約4時間半後に、護衛艦隊司令部の幕僚長が海上保安庁に事前連絡せず、あたごに乗り込んでいたことも判明した。

 石破防衛相は参院外交防衛委員会で、事故当日の19日に航海長を防衛省に呼んだのは海上幕僚長の判断で、海幕幹部が事情聴取を終えた同日正午前に報告を受けたと説明した。その後、石破防衛相は大臣室で航海長から事情を聴いた。大臣室での事情聴取について、石破防衛相は「密室でやるとか、限られた人間だけでやるのは駄目だと思ったので、自分の判断で決めた」としている。

 一方、増田好平防衛事務次官は28日、大臣室で航海長から事情を聴いた際の記録がないとした発言を一転させ、19日午後4時前に海保庁へファクスで送信していたと説明した。しかし、石破防衛相が聴取する前に海幕幹部が航海長から聞き取った内容については「(今も)知らない」としている。

 さらに、あたごが清徳丸と衝突した約4時間半後の19日午前8時半過ぎ、護衛艦隊司令部の幕僚長がヘリコプターであたごに到着。約1時間、乗組員らから事情を聴いていたことも新たに分かった。増田事務次官は「幕僚長は護衛艦隊司令官の指示で乗り込んだが、海保庁の了解は得ていなかった」としており、艦内でどのようなやり取りがあったか、明言を避けている。

 防衛省が航海長を同省に呼んだ際も、海保側には「けが人を搬送する」と連絡しておきながら、実際にはこれとは別のヘリで防衛省に向かっていた。航海長の乗ったヘリは午前9時10分にあたごを離れ、9時54分に防衛省に到着していた。

 なんともお粗末な対応をしている防衛省ですね。こんなことで国を守ることができるのでしょうか・・・?

また、石破防衛相は、TBSに出演し、自らの考えを示したようですが、自己保身・隠蔽体質も防衛省がどこまでかわるのでしょうか・・・。

イージス艦事故で幹部処分の考え表明、石破防衛相が民放番組で

2008.3.1 09:33

 石破茂防衛相は1日午前、TBSの報道番組に出演し、イージス艦衝突事故をめぐり、事故やその後の対応で責任があったと判断された防衛省・自衛隊幹部については、処分を断行する考えを表明した。自らの進退についてはその後に、判断する考えを示した。

 石破氏は「誰がいかなる権限を持っていたのか、その権限にきちんと見合う責任とは何なのか。(処分は)出す」と強調。その上で「組織の中で起こったことはトップが責任を取るのが原則だ。それをどう両立させるかということは落ち着いて考えてみないといけない」と述べた。

 衝突事故をめぐっては、海上自衛隊トップの吉川栄治海上幕僚長や、衝突事故の際に仮眠を取っていたイージス艦「あたご」の艦長については、すでに更迭の方針が固まっている。

 しかし、国内の海域とはいえ、『あたご』の乗組員は油断し過ぎですね。

けれど、今回の事件で、自衛隊及び防衛省内の指揮系統や、いかに不完全であるか証明してしまいんましたね。

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2008年2月27日 (水)

イージス艦衝突事故

イージス艦『あたご』の艦長が行方不明の親族宅を謝罪訪問したそうですが、事故から一週間も経ってからとは、遅すぎる気がします。事故当時の指揮官及び、担当員は、表に出て謝罪する気は無いのでしょうか?

イージス艦長が不明家族宅を謝罪訪問

2008.2.27 14:54

このニュースのトピックス:航空機・海難事故

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報道陣に囲まれる吉清さんの兄、高志さん =27日午後2時40分、千葉県勝浦市

海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、あたご艦長の舩(ふな)渡(と)健1等海佐が27日午後、行方不明の吉清治夫さん(58)、哲大さん(23)親子の自宅を謝罪のため訪問した。事故後、舩渡艦長が公の場に姿を見せるのは初めて

 吉川栄治海上幕僚長と防衛省の中江公人官房長らが同行した。

 親族の吉清高志さんは報道陣に「十分な誠意をみせてもらった。気持ちの整理もついた」と話した。

 事故から1週間を過ぎた時期の訪問について、僚船「金平丸」の市原義次船長(54)は「個人的には対応が遅いと思う」と苦言。事故の真相究明を繰り返し訴えている同漁協の外記栄太郎組合長(79)は「事故について艦長から細かい説明を受けたい」と話した。

親族の吉清高志さんは「十分な誠意をみせてもらった。気持ちの整理もついた」と報道陣に語ったそうですが、無念の思いは残っているのはないでしょうか・・・。

また、記者会見で『あたご』の艦長は、事故当時の「記憶があいまいだ・・・」や「漁船が多い状態だったというのを私が理解していなかったのは問題だと思っている。あの時間にあれだけの漁船がいるという認識がなかった」などの発言からして、あまり責任感が感じられないのは自分だけでしょうか・・・。

「記憶があいまいだ」事故のイージス艦長が会見

2008.2.27 19:00

このニュースのトピックス:航空機・海難事故

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千葉県勝浦市内で記者会見に臨むイージス艦「あたご」の船渡健艦長=27日午後

 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、あたご艦長の舩渡健1等海佐(52)は27日、千葉県勝浦市を訪れ、行方不明の吉清治夫さん(58)、哲大さん(23)親子の家族や新勝浦市漁協関係者らに謝罪後、記者会見した。艦長は「日本の護衛艦がこのような事態を起こし、深くおわびする」とし、「監督責任を含めた全体の責任が私にある」と明言した。あたごの航海長が事故後に防衛省に呼ばれ事情聴取を受けたことについては、「『状況の分かる者を送れ』と指示があった」と述べたが、指示したのが誰かは「記憶があいまいだ」と述べた。

 主な一問一答は以下の通り。

 --吉清さんの家族にかけた言葉は

 「大変申し訳なく、一刻も早い生還を祈っている。二度とこのような事故がないように安全対策を万全にすると伝えた。奥様から引き続き真相究明をといわれた」

 --艦長としての責任は

 「あたごの指揮は私が執っている。監督責任を含めた全体の責任が私にある」

 --なぜ事故を防げなかったのか。

 「教育訓練などの中で何が不足していたのか、これから何をすべきかを再構築する」

 --事故当時、情報のやりとりは十分だったのか

 「常日ごろの私の指示について問題がなかったかを考えている。通常の指導の中で特に大きな問題はなかったと思っている。何か足りないところがあったのではないかと考えている」

 --乗員の引き継ぎに問題はなかったのか

 「捜査中なので問題があったかなかったかは分からない。何が事故につながったかについては捜査中としか言えない」

 --十分な引き継ぎがあれば事故は起こらないのではないか

 「一般論ではそうだ。保安庁の調査の中で継続して捜査しているところだと思う」

 --航海長を防衛省に一度戻して事情聴取したが、誰の指示を受けたのか

 「忙しい中でその時点でどこから(指示を受けたか)というのははっきり理解していない。覚えていないというか、いろいろなところから来ているのでどこからか特定することはできない」

--指示を受けた記憶はあるのか

 「ある。航海長を指名したのは私。『誰か状況の分かる者を送れ』という指示だった。(指示者については)先ほど申し上げた通り。あいまいなので申し訳ない」

 --艦長は何時ごろから仮眠を取っていたのか

 「そんなに長い時間ではないが、(事故の)1時間より長い(1時間以上前から)と思う」

 --混雑海域を通る場合、こういう指揮を執るべきだったと悔いている部分はあるか

 「漁船が多い状態だったというのを私が理解していなかったのは問題だと思っている。あの時間にあれだけの漁船がいるという認識がなかった」

 --自衛隊がたるんでいるという批判の声がある

 「こういう問題を起こしたので、ご指摘はその通りだと思うが、全般的に見て士気が下がっているとは思っていない。事故を起こし、そういう印象を与えたことは大いに反省している」

 --自身の進退については

 「捜査が終わってから考える」

 --小型船なのでよけてくれるという認識はあったのか

 「ありません」

なんとも、官僚のような受け答えしかしていない艦長のようですが、民間同士の事故であれば、艦長だけでなく事故当時の指揮官及び担当員が揃って謝罪するのが当然ではないでしょうか?

今回の事故の対応をみるだけでは、また、同様の事件を海上自衛隊は起こしそうな気がします。

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2008年2月25日 (月)

イージス艦衝突事故

  信じられない事故が起きたようですが、最新鋭の機器を搭載した自衛隊の艦艇と漁船が衝突する等とは考えられないです。しかも、その後の事故報告が防衛大臣や総理大臣に届くまで、なん時間がかかっていることでしょうか・・・。

衝突事故だけに関しても、いくら最新機器を搭載しているイージス艦でも、それに乗艦している自衛官の危機意識が甘すぎたために起きたのではないでしょうか。甲板での視認見張り担当やレーダー担当官、更に上の当直仕官に、キチンと正確に素早く情報を伝えて操舵手に回避行動及び漁船に警笛を鳴らす等の対応ができていれば、事故は防げた筈です。

私物のパソコに自衛隊の情報を記録してファイル共有ソフトで誰でも閲覧できる状態にしていた自衛官や、同僚のお金を盗む自衛官がいたり、ロシアに情報を流していた防衛省の官僚がいたりと、自衛隊・防衛省内の体制・規律がただでさえズサンな上、モラルまで低下しているようでは、今回のイージス艦では無くてもいずれ大事故を起こしても不思議はないのかもしれません・・・。

防衛省の危機管理能力の欠如は、

内閣危機管理監にも連絡遅れ 防衛省の責任追及の声強まる イージス艦衝突

2008.2.20 19:39

このニュースのトピックス:官房長官会見

イージス艦衝突事故に関する情報伝達が遅れた問題で、町村信孝官房長官は20日夕の記者会見で、内閣の危機管理を統括する野田健内閣危機管理監や、平成15年の閣議決定で関係省庁が緊急事態発生時に直ちに報告すると義務付けられている内閣情報調査室への報告が事故発生から約1時間40分後だったことを明らかにした。防衛省の危機管理能力の欠如が新たに露見したことになり、野党だけでなく与党からも防衛省の責任を問う意見が出ている。

 事故は19日午前4時7分に発生。町村氏によると野田危機管理監や内調に報告が入ったのは午前5時50分だった。政府はこれを受け、5時55分に首相官邸内の危機管理センターに情報連絡室を設置したが、福田康夫首相への連絡は連絡室ができた後の6時だった。

 石破茂防衛相は20日夕の自民党国防関係合同会議で、連絡体制に関する防衛事務次官通達に関し、各幕僚長から直接、防衛相に伝えられる形に改めた19日の改正にとどまらず抜本的な見直しに着手していることを明らかにした。ただ、与野党では石破氏や防衛省・自衛隊幹部の責任を問う声が強まっている。

 公明党の北側一雄幹事長は同日の記者会見で石破氏の責任問題について「原因究明、再発防止をしっかりやることが一番の責任だ」としたものの「処分はあってしかるべきだ」と指摘した。

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は20日午後、静岡市内で記者会見し、イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故について、石破茂防衛相が責任を取って辞任すべきだとの考えを示した。他の野党も防衛相の責任を追及する姿勢を強めており、野党側は参院で閣僚の問責決議案を可決できる過半数の議席を背景に石破氏の辞任を求めていく考えを示している。

 鳩山氏は会見で「イージス艦に大きなミスがあった」と指摘したうえで、石破氏について「責任の大きさを考えれば職にとどまるのは難しいのではないか。党としての意思ではないが、閣僚を辞めるべきだ」と述べた。

 同党の外務防衛部門会議でも、防衛省や自衛隊の初動態勢の遅れなどについて「省内のたるみが原因」「今後、イージス艦に関する調達は認められなくなる」との批判の声が上がった。

 一方、共産党の志位和夫委員長は20日、記者団に対し、「防衛相の責任を厳しく追及していきたい」と語った。また、社民党の福島瑞穂党首も「防衛相の罷免を要求していきたい」との考えを示した。

 と、報道されています。これが、事故でなくテロや他国の艦船だったら、大変なことになってしまっている筈です。

個人的には、石破防衛相には辞任するのではなく、防衛省内の管理体制や危機意識、の改革や、省内官僚及び自衛官のモラル・マナー向上を行って欲しいですが・・・。(公務員共通の自己保身の為に、情報を正確に上司などに伝えていないようですから・・・。)

おかしいのは、以下のように、

「報道陣には知らんぷりを」 イージス艦衝突事故で幕僚長が親族に

2008.2.20 18:20

このニュースのトピックス:航空機・海難事故

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報道陣に囲まれる海上自衛隊横須賀地方総監部の山崎郁夫幕僚長=20日午後、千葉県館山市

イージス艦衝突事故で、行方不明となった漁船「清徳丸」の吉清治夫さん(58)と長男哲大さん(23)の親族に対し、海上自衛隊横須賀地方総監部の山崎郁夫幕僚長(55)が20日、千葉県館山市の海自館山航空基地内で「あそこに報道陣がいますが、知らんぷりしてください。ひと言も話さないで通ってください」と発言した。

 親族12人は同日午後、館山市沖まで曳航(えいこう)された清徳丸の船体がクレーンで台船に引き揚げられる作業を見守るため、山崎幕僚長の同行で海自の小型ボートに乗り、沖合に出ていた。

 山崎幕僚長は作業後、親族が基地内の桟橋に戻った際、取材のため待機していた報道陣を指して発言した。

 親族がバスで帰宅した後、発言を聞いた報道陣が「加害者の海自側から被害者の家族にそのようなことを言うのはおかしいではないか」と追及すると、山崎幕僚長は言葉に詰まり「報道陣の数が多かったので驚いてしまった。おわびしたい」と陳謝した。

 山崎幕僚長は、横須賀地方総監部では総監に次ぐナンバー2の幹部。

こうした、保身ともとれる言動を行う人物が自衛隊のトップになっているようでは、その下士官や自衛官が保身に走ったり事件を起こしても不思議はないです。

原因は、やはり・・・。

当直交代前に漁船団把握 イージス艦「引き継ぎミス」強まる

2008.2.23 12:50

このニュースのトピックス:航空機・海難事故

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現場となった千葉県・野島崎沖の護衛艦に近づく、親族ら関係者が乗るヘリ=23日午前10時54分、共同通信社ヘリから

海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、衝突直前に交代した、前の当直グループが清徳丸を含む漁船団をレーダーなどで把握していたとみられることが23日、第3管区海上保安本部などの調べで分かった。

 交代前の責任者の当直士官にも報告されていたとみられ、3管本部は前のグループが漁船団の動きに注意を払わず、後のグループへの引き継ぎなどに問題があったとの見方を強めている。

 3管本部などはこの日も現場海域などの捜索を続行した。

 3管本部の調べなどでは、あたごの当直員は、衝突直前の19日午前3時50分ごろから4時までの間に、艦橋の10人と戦闘指揮所(CIC)の7人など計26人全員が入れ替わっていた。

 これまで防衛省は、衝突12分前の午前3時55分に、初めて交代後の見張り隊員が清徳丸の灯火を視認したと説明。これに対し清徳丸の僚船側は衝突の約35分前の午前3時半ごろ、約11キロの距離で漁船のレーダーにあたごが映っており「イージス艦のレーダーにも漁船が映っていたはず」と反論し、両者の主張が食い違っていた。

 その後の調べなどで、交代前のグループの当直士官らが、清徳丸を含む漁船団が近づいてくるのをレーダーで把握していたとみられることが判明。3管本部は、継続して漁船団の動きに注意を払い、後のグループへの引き継ぎで注意喚起するなどしていたかどうかなどについて隊員らから詳しく事情を聴いている。

と、いくら最近の漁船がFRP素材というレーダーに映りにくい素材で製作されているとはいえ、

衝突前に『あたご』は、見張り隊員が漁船を視認し、更にレーダー担当官も漁船団を確認している筈です。その後の主張や情報が食い違ったりしたのは、『あたご』に当時、乗艦して当直していたそれぞれの担当官が保身を図り、正確に情報をあげていないとしか思えません。乗組員のミスは艦長の責任である筈なのですが、未だに謝罪記者会見等が無いのは責任逃れの気がしてなりません。引継ぎミスが本当であればあるほど、艦長の責任は重い筈です。

捜索は、

「早く見つけてほしい」花束など海に… 不明父子の家族ら現場へ

2008.2.23 12:55

このニュースのトピックス:航空機・海難事故
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海上自衛隊護衛艦「あけぼの(108番)」の艦上から、清徳丸の吉清治夫さんと長男、哲大さんの親族らが無事の帰りを祈りバナナなどを海に差し出した =23日、午前11時42分、千葉・野島崎沖
冷たい冬の海に投げ出されて4日。海上自衛隊のイージス艦「あたご」との衝突事故で、行方不明となっている漁船「清徳丸」の吉清治夫さん(58)と長男の哲大さん(23)の家族や親族ら約30人が23日、海自護衛艦で千葉県・野島崎沖の事故現場海域を訪れた。「早く見つけてほしい」。親族らは無事を祈って、日本酒や花束などを海へ投じた。

 家族らはこの日、午前8時すぎにバス2台で地元の同県勝浦市を出発。皆うつむき加減で、表情は硬いまま。治夫さんの母、春枝さん(83)や妻、幸子さん(52)は憔悴(しょうすい)しきって、ほとんど歩けない状態だったという。

 家族らは、同県館山市の海自館山航空基地からヘリ5機に分乗して護衛艦へ。捜索の指揮をとる海自第1護衛隊群司令の河村正雄海将補から捜索状況の説明を受けた。

 車いす姿の春枝さんは茫然(ぼうぜん)と海をみつめ「治夫、哲ちゃん」と叫んだ。幸子さんはタオルで顔を覆って号泣、千羽鶴をうねりの大きい海に投げ入れ「早く帰ってこいよ」と声を振り絞った。

 吉清治夫さんの妹、屋代悦子さん(55)は「人をのんだ海はこわい。兄貴もそうだけど、哲大も一刻も早くかえってきてもらいたいですよ」と涙で話し、兄、高志さん(60)も「哲大はおじさん、おじさんって私の仕事を手伝ってくれたりしたんで、『おじさん手伝うよ』って出てきてくれるような気がするんですけどね」と言葉少なに話した。

 現場海域の海は荒れ、漁師仲間の漁船による捜索は中止に。勝浦市内の漁港では父子の無事を祈り、地元の女性約100人が数珠を手に海に向かってお経を唱え続けた。

 また、勝浦市ではこの日、「かつうらビッグひな祭り」が始まったが、実行委員会は事故に配慮してパレードや太鼓演奏を中止。毎年多くの観光客でにぎわう町は重苦しい空気に包まれた。

 しかし、事故から7日目の今日、テレビ報道では、衝突直前の19日午前3時50分ごろから4時までの間に、艦橋の10人と戦闘指揮所では、交代直後でも見張り員・レーダー員・当直仕官は漁船団の存在を知っていたまま自動操縦で航行していたとか・・・。

そして、千葉県勝浦市川津漁港の漁協では、仲間の漁師達での捜索を本日、2月25日に地元の仏事「浦じまい」で海に塩をまき、打ち切られました・・・。

事故日、『あたご』は、ハワイでミサイル発射実験をした帰航中で、報道では、ハワイ帰りは隊員の気持ちが緩みがちだとか・・・。しかも、民間の漁船が避けるのが通常で自動操縦のまま国内の海上では航行することが多いとか・・・。
「相手がよけると思った」イージス艦事故 衝突への危機意識薄く
2008.2.25 22:12
このニュースのトピックス:航空機・海難事故
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地元の仏事「浦じまい」で海に塩をまき、手を合わせる吉清さん父子の親族=25日午前、千葉県勝浦市の川津港
千葉県・野島崎沖で起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故は26日で1週間。なぜ最新鋭の装備を備えたイージス艦が無防備な漁船に衝突したのか。第3管区海上保安本部のこれまでの捜査で、あたごの不十分な監視や「相手の船がよけると思った」と乗組員が供述するなど、危険性に対する意識の薄さが事故を招いたと疑いが強まっている。

 ■漁船団いつ認識

 3管本部によると、あたごの航行は、艦橋10人、機関室8人、戦闘指揮所(CIC)7人、後方の見張り1人の26人体制で1日を11区分にわけて2時間~2時間半おきに行われ、交代時には26人全員が交代することになっている。

 そのうち焦点になっているのは艦橋に配置された10人。見張り員やレーダー員、操舵員、当直責任者の当直士官など海上を目視やレーダーで監視して操船をする役割を担い、事故原因とも関係する立場にあるからだ。

 事故は午前4時の当直交代7分後に起きた。3管本部は午前4時を境に交代した艦橋の当直計20人が清徳丸などの漁船団をどの段階で認識し、どう対応したのか乗組員を事情聴取して調べを進めている。

 ■「危険ないと…」

 海自は事故直後、衝突2分前に清徳丸を発見し1分前に全速後進などの回避行動を始めたと説明したが、その後、12分前の午前3時55分に清徳丸のものとみられる灯火を見張り員が目視していたと修正、衝突1分前までは自動操舵で航行していたと説明した。

 見張り員が灯火を目視していたにもかかわらず自動操舵を手動操舵に切り替えなかったのはなぜなのか。見張り員は3管本部や海自に対し「危険性がないと思った」「相手の船がよけると思った」「(清徳丸は)あたごの後ろを通り過ぎると思った」などと話し、衝突への危機意識が薄かったことを明かしている。このため当直士官への報告も怠っていた。

 さらに、3管本部の調べで午前4時以前の当直員も漁船団を把握し当直士官も認識していた可能性のあることが判明。しかし、午前4時以前の当直士官が十分な対応をせずに後の当直士官に引き継いだため、後の当直員は自動操舵を続け衝突にいたったとみられる。3管本部は今後、事情聴取の内容を詳細に精査し事実特定を急ぐ方針だ。

 ■艦長の対応は?

 事故当時の航海用のレーダーがどうっだったのかにも3管本部は注目している。

 これまでにレーダーそのものには異常がないことを確認している。レーダーに漁船団はうつっていたとみられるが、目標物が小さく海上の状況やレーダーの調整状況によっては清徳丸などの小さな漁船は十分にレーダーで捕捉されていなかった可能性もあるという。3管本部では、レーダーがどのように使われていたのかについても調べを進めている。

 これまでの調べで、漁船団を把握しながら危機意識への薄さから十分な監視と対応が行われなかった可能性が強まっている。日本海難防止協会の大貫伸上席研究員は「長い航海を終えて上陸を間近に控え緊張感の切り替えができなかったのではないか」と指摘。その上で「手動操舵に切り替えよとか、見張りを強化せよとか上の具体的な指示を出していたのだろうか」と、指揮官の判断ミスが背景にあったとみている。

とのことです・・・。

 親族の方々のことを思うと考えたくないですが、このまま、清徳丸に乗船していた吉清治夫さん(58)と息子の哲大さん(23)の2人が行方不明のままだったり、遺体が発見されたりしたら
イージス艦『あたご』の艦長や当時の担当官は、殺人者です・・・。 しかし、普通の民間人の事故では、特に死者が出なくても飲酒運転事故などでは実名がでるのに、どうして今回の事故での自衛官らの名前は公表されないのでしょうか!!!。
特に、こういった指揮系統の乱れによる事故では艦長の責任は重大の筈です!!!。

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2007年12月20日 (木)

果たして、日本の再生は・・・

  果たして、日本は再生できるのでしょうか・・・。

退路断つ「覚悟の戦略」を

2007.12.20 03:43

このニュースのトピックス:やばいぞ日本

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山折哲雄氏

本紙連載「やばいぞ日本」(7月3日付から66回)を受けて、日本の劣化の原因や克服策を探ろうという座談会が産経新聞東京本社で開かれた。出席者は宗教学者の山折哲雄、JR東海会長の葛西敬之、元外務省中東アフリカ局参事官の宮家邦彦、一橋大学客員教授の中満泉の4氏(本文は敬称略)。約1時間半の論議は、以下の救国シナリオに集約された。(1)日本は危機的な状況を迎えているのに、日本人は深刻さに気付いていない(2)競争力を強めるため、退路を断って思い切った改革を断行する(3)そのためには「覚悟の戦略」をもったリーダーが必要だ(4)年長者が次世代をきちんと教えて人間関係を安定させるーなど。(司会は「やばいぞ日本」取材班キャップ、中静敬一郎・論説副委員長)

葛西敬之氏

--解決策はいかがですか

 山折 異論があるかもしれないが、私は「経済成長率信仰」を根本的に変える必要があるのではないかと考えています。経済成長率さえ維持していけば、年金の問題も税金の問題も解決すると言わんばかりのことを政治家も経済人も言い出している。しかしね、もう世界全体が限界に来ている。この信仰に鍬(くわ)を入れることを、まず日本が率先すべきじゃないかと思う。

 大和言葉には「腹八分」といういい言葉があります。これは日本人のライフスタイルに直結した観念であり、感覚です。ところがね、若い者と一緒に居酒屋に行くと、飲み放題、食い放題の店があふれかえっている。食べよう、ばかりです。こういうものに歯止めをかけるため、「腹八分」という考え方はいろんな面で適応可能性を引き出すメッセージだと思います。

 それと経済成長率信仰の見直しは結びつく。ただ、経済が停滞していいのかといわれると困るが、「経済持続力」といった言葉もある。

 葛西 日本で抜本的な改革がなされた時期は、明治維新と大東亜戦争の敗戦です。いずれも外的要因による「非連続的改革」です。だから非連続的改革をやってみたらいいと思う。

 真っ先にやりやすいのは、公共事業と教育です。日本は今、土建立国になっているから、これから先、これまでのような国でやる公共事業では、一切新規の建設はやらない。いままで建設したものを21世紀の間、いい状態で使うためのメインテナンスの投資しかやらないことをまず決める。

 教育改革では、考える力をつけるための基礎と、集団で授業を受けることによって社会的な規律を身につけることに絞る。子供の数はどんどん減り、先生は大量に退職している。こんな絶好の機会はないので、先生の採用および教育予算は子供の減少に比例して抑制する。個別の施策のために抑制を解除する場合は、案件ごとに教育再生管理委員会のような組織が判定する。

 こうすると、公共事業と教育が退路を断たれた形になる。非連続的な改革の発火点になり、いろんなことが動き出すきっかけとなるかもしれない。相当乱暴な議論ですが、国鉄改革の場合はまさにそうだったわけです。

 宮家 おっしゃる通りで、非連続的な形でしか日本は改革ができない。外圧がなければ、もしくは環境が激変しない限りできない。今の日本では山折先生が言われた良質の集団主義が劣化し、その中で個人主義も劣化している。こう言うと不愉快かもしれませんが、まだ落ちるところまで落ちていない。落ちて、1億2800万人全員が「これはダメだ」と思わないと、一致団結して改革しない。その間は改革しようとする立派な人の足をみんなで引っ張るだけです。

 中満 倫理観の低下を私たちが感じていても、日本人ほど緻密(ちみつ)で勤勉でモラルが高い国はありません。

 ただ難しいのは、これらの長所、強みが実は短所、欠点と紙一重です。緻密で勤勉だからこそ、いざというときにダイナミックな考え方ができず、リーダーシップを取る人間が出てこない。対外的な関係を築くときに相手を信頼し過ぎて主張しない。こういう性質を表裏一体で持っているからこそ、改革が難しい。だが、逆にそれらを両方得ることができれば、ものすごいパワーになると思います。

 日本の劣化といいますが、例えばマンガやアニメの文化力は1960年代のビートルズに匹敵するぐらいの浸透力を持っている。しかしそうした力を結集するようないい意味での組織力、行動力が今、欠けています。

 「日本と世界」ではなく、「世界の中の日本」へ、発想を転換するため、英語を公用語化するような思い切ったことが必要ではないでしょうか。

 ■英語の公用語化検討を 中満氏

 --英語だけの公用語化ですか

 中満 もちろん国語化ではなく、日本語との併用です。官僚組織では重要な文書を必ず日本語に訳す。いかに時間と労力を使っているか。それを一切やめ、「そのまま読む」とすれば、英語を学ばなければ仕事ができなくなる。必要に迫られるわけです。

 山折 明治以前では、中国文明と日本文明はそういう共存関係でした。漢字文化を日本列島文化は消化した。それをやれということですね。

 葛西 江戸時代に2、3歳のころから漢文を読ませたような教育を一部の人に施すのはいいかもしれません。しかし、植民地のように他国の言葉で仕事をしなくてはならなくなったときには必ず支配される。

 以前、外資と対等合併した会社の社長に「社内の公用語は何だ」と聞いたら「英語だけだ」というので、「あなたの会社はもう負けたということだ。いずれダメになります」と言いました。その会社は半年後につぶれた。

 英国が、「英国病」(注3)と言われるように没落が危惧されながらも地位を保ったのは、英語が世界の覇権言語だったからです。日本語はそうではない。日本がこれから生き残るには、だれかと手を組むことが必要です。

 相手を間違えたら滅びる。それはやっぱり米国であり、小泉、安倍両氏は正しい。日米同盟が基軸であることに異を唱える人々は、ものの本質を見誤っていると思う。

 現実的な処方箋(せん)は、太平洋を内海とする密接な日米関係をつくることです。その方向に動けば、「日本病」が進んでもなんとかなると思う。

 宮家 日本が劣化することで、その正しい政策ができなくなる可能性があるのが怖い。

 葛西 山折先生の経済成長率信仰見直しには全く同感です。経済成長による税収増を重視する「上げ潮路線」は疑問です。必要なのは、厳(きび)しめの想定による日本経済の正確な将来予測であり、その試算に基づいた処方箋を現実的に考えなければならない。

 政府は消費税率論から逃げているが、国鉄の運賃値上げと一緒で、ずっと逃げて最後にドカンと値上げしたらうまくいかなかった。それと同じことになるような気がする。

 山折 いまよく「国家戦略」という言葉を使うが、その場合の戦略を作り上げる方法は常に目的合理性に基づいている。しかし、例えば明治維新における政治家たちがやったのは、目的合理性に基づく認識はもちろんあったと思うが、それ以上に「覚悟の国家戦略」だった。

 今の日本社会にとっても重要なのは「覚悟の戦略」と思う。葛西さんが言われたようにいろんな見取り図を作って、その中で選択する。これは合理的に説明できない場合があるわけです。そのときにどう覚悟するか。それがない。「覚悟の戦略」という発想が。

 宮家 グローバル化への危機意識をみんなに持ってほしい。とりわけ政治家です。なぜなら政治決断をしない限り、われわれが言ったことはすべて絵に描いた餅(もち)。しかし国会が衆参両院でねじれ、今のままでは本当に大事な政治決断をするチャンスを失う。政争をやっている暇はない。

 中満 思い切った政策を行っても、効果が国レベルで出てくるには時間がかかる。5年ぐらいのうちに思い切ったことをやり始めないと、間に合わなくなってしまう。

 --問題はリーダーですね

 葛西 リーダー教育は必要と思う。でも、例えば文部科学省の審議会で議論をして、国全体のシステムとしてリーダーを育てる仕組みを作るのは不可能だ。そこで、私は志を同じくする民間企業数社とともに、リーダーの卵を育てる中高一貫校を2006年、愛知県に開校した。一粒の種をまく、その動きがいくつか集まったときに何かが出てくる。自分にやれることをやっていこうと思っています。

 聞いた話ですが、米国人の最も多くの人たちが一番信頼するのが「米軍」だと答えるそうです。私の米国の知人をみてもそれはうなずける。高給をもらわず、強ぶらず、自己抑制の効いていて、しかも積極果敢である。

 いわゆる昔のいい米国のリーダーシップが残っている。日本の霞が関にはそれに当たるものがない。

 宮家 絶対ない(笑)。

 葛西 ビジネスの世界はもっといません。リーダーを育てるには時間がかかります。

 中満 どんな職場組織でも、入って2、3年たつと「この人は将来リーダーになるだろうな」という人間は大体見えてくる。そういう人材を育てる意識的な努力がもっとなされた方がいい。要するに、どんどん責任を与え、失敗を含めて自分で学び取らせていく。そうした取り組みが霞ケ関はもちろん、ビジネスの世界でもなされていけば、将来のリーダーの卵が生まれてくるのではと思います。

 山折 歴史に学べば、日本の改革革命で最も見事な成功例は明治維新。あれは無血革命に近い。前提は江戸城無血入城です。そこに西郷隆盛(注4)と勝海舟(注5)というリーダーがいます。彼らが何を最終的に目標にしていたかというと、前述した聖徳太子の「和」の問題が出てくる。その意味で集団主義は非常に根が深い。

 私は、明治維新で示されたリーダーたちの一種の集団主義、和の精神は、いつでも死を覚悟していたと思う。

 よく非暴力、平和主義というとインドのマハトマ・ガンジー(注6)が想起されますが、ガンジーも死を覚悟し、最後は暗殺された。絶対平和主義を唱える日本人はそこを見ていない。日本人がこの甘さを乗り越え、その上で明治無血革命の集団主義、和の精神をどう質を高めて継承するかです。

 葛西 明治になって大久保利通(注7)は暗殺された。

 山折 毎日暗殺の危機感の中で活動していたわけでしょう。すごいと思いますよ、その精神力は。

(3-2)

2007.12.20 03:42

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葛西敬之氏

--解決策はいかがですか

(3-3)

2007.12.20 03:42

このニュースのトピックス:やばいぞ日本

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中満泉氏

■脅威を認識していない 葛西氏

 --中国をどう見ますか

 中満 私は敵とは思っていない。しかし中国ときちっとした付き合い方を日本が考えなければいけない。

 葛西 敵というと言葉はきついが、中国は核ミサイルの照準を日本に合わせて配備している。これは脅威です。脅威に対しては抑止力を持たなくてはならない。それは日米同盟です。

 日米同盟がきちんとしていると、日中関係は良くなる。ところが、日米同盟に楔(くさび)が打てると思うと、日中関係は悪くなる。

 宮家 日本が初めて本当の中国を知り始めたのは最近です。天安門事件(注8)以降、やっと中国がどういう国かわかってきた。戦前を含めて一種の理想主義と空想主義と思い込みで互いに本当の実態を知らなかった。これからですよ、本当の日中関係は。

 葛西 私は日本の運命を最後に決するのは目を覚まさせる状況が来るかどうか、まさに天命なんだと思う。中国の脅威が具体的に何かの動きになったときに、日本人がいくら寝ようと思っても頭から水をかけられたように目が覚めざるを得ない状況が来れば、日本は助かる。そうでなければ助からない状況に今あるような気がする。

 宮家 ショック療法的なことが起これば本当にいい。そうしたら、この国はドーッと集団で変わる。その危機を感じなかったら、今のままです。

 ■「明治無血革命」に学べ 山折氏

 山折 今、天命とおっしゃったけれど、世界の国はずっと「生き残り戦略」を考えてきた。一方、アジアには、すべてのものが被害を受けるならば共に滅びの道を歩もうという「無常戦略」がある。「万葉集」や「平家物語」などには、全部この無常観が流れ、滅びゆくものに対する共感、弱者・敗者に対する思いやりがみられる。

 明治無血革命の底に流れているのも一種の無常感覚であり、無常戦略です。債権債務の同等を主張するのではない。「債務至上主義」といってもいいような、感謝とか恩という感覚、考え方です。これを国際関係に反映させれば、決して完全な滅びの道を歩むことはあるまいと。そこは覚悟ですよ。そのときに「天命」といった言葉が出てくる。無常戦略か、生き残り戦略か、人類はその岐路に立っている気がします。大風呂敷を広げてしまいました(笑)。

 --ありがとうございました。

                   ◇

【プロフィル】山折哲雄

 やまおり・てつお 宗教学者。東北大学文学部卒。東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、白鳳女子短大学長、京都造形芸術大学院長、国際日本文化研究センター所長など歴任。著書に「親鸞をよむ」「日本文明とは何か」「近代日本人の宗教意識」など。76歳。

                   ◇

【プロフィル】宮家邦彦

 みやけ・くにひこ AOI外交政策研究所代表、立命館大学客員教授。東大法学部卒。1978年外務省入省、日米安保条約課長、在中国大使館公使、在イラク大使館公使、中近東アフリカ局参事官で退職。2006年10月から今年9月まで総理大臣公邸連絡調整官。54歳。

                   ◇

【プロフィル】葛西敬之

 かさい・よしゆき JR東海代表取締役会長、国家公安委員、政府の教育再生会議委員。東大法学部卒。旧国鉄の分割民営化を推進し、1987年JR東海取締役、95年代表取締役社長、2004年から現職。著書に「未完の『国鉄改革』」「国鉄改革の真実」。67歳。

                   ◇

【プロフィル】中満泉

 なかみつ・いずみ 一橋大学客員教授、外務省海外交流審議会委員。米ジョージタウン大学大学院修了。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)サラエボ事務所長、国連本部事務総長室国連改革チーム・ファーストオフィサー。共著に「国際協力を仕事として」。44歳。

 --日本の現状をどう見ますか

 山折 連載を拝見して、日本社会の劣化が行くところまで行き、この先は沈没しかないのか、と感じた。

 戦後60年、われわれの社会は家庭でも学校でも職場でも「人間関係が大事だ」と言い続け、その結果、人間関係そのものが非常に不安定になった。

 何が欠如していたのかというと、親子や師弟の関係でも、技術や知識を年長の者が次の世代にきちんと教えていくという教育の垂直軸というものを問題にしなかった。これがかえって人間関係そのものの基礎を崩した。

 それから水平軸が横並びの平等主義となり、互いの足を引っ張る構造を作り上げた。垂直軸がしっかりしていれば、嫉妬(しっと)や怨念(おんねん)はかなりコントロールされる。それが正当な人間関係の中に吸収されず、ライバルや憎しみの相手に向けられ、社会の中に蓄積している。子殺し、親殺しなどの残虐な事件が多発しているが、蓄積した嫉妬や怨念が外に向かうと殺意になり、内に向かうと自殺を引き起こす。外にも内にも向けることができない人間は行き場を失って鬱(うつ)になっている。

 教育を中心にあらゆる社会組織の中に垂直軸と水平軸という立体的な体系を築き上げなかったことが問題だ。

 葛西 戦後の日本は、すべての人の考え方が内向きになっている。国というものは中を束ね、外に向かって戦略的に自己主張することにより、国益を推進するための組織でなければならず、そのためにリーダーが必要だ。

 これが明治以来の近代化のプロセス。担い手は戦うことを職業とする武士だったが、戦後日本は、その戦うことを否定することから始まっている。

 ですから国を守ろうとか、あるいは企業も役人も、外に向かっていかに競争力を強めていくかということをだんだん考えなくなり、内ばかり見るようになった。仕えやすい上司、付き合いやすい同僚、使いやすい部下がいいということになり、そういう人が組織の中で重んじられる形になっている。

 冷戦時代に米国の保護下で日本が自分で自分を守らなくてもいい、という、ある種の温室の中では、その仕組みは機能し得たと思う。ところが、冷戦崩壊後に米国から突き放され、あるいはバッシングされる事態になって、四分五裂の迷走状況になったまま、それがいまだに続いている。

 すべてにおいて受動的で、主導性を失ったのが日本の戦後の特色。小泉元首相、安倍前首相はその中でリーダーシップを発揮しようとしてある程度成功したが、今また逆戻りし、帆もエンジンも舵もない状況になっている。

 宮家 この連載には日本の劣化が書かれている。個人の劣化では教育の問題や政治家・役人の体たらく、社会の劣化では国家戦略のなさ、縦割り主義などが繰り返し指摘されている。

 私が印象的だったのは、ままごとで「お母さん役のなり手がなく、子供たちはペット役をやりたがる」という記事(11月8日付)です。子供たちの世代から変質が始まり、劣化がかなり深く進行していることは衝撃でした。

 中満 12月4日発表の経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査で、一番ショックだったのは日本の生徒の学習意欲が他の先進国と比べて格段に低いこと(注1)。理由を考えると、恐らく目的意識がなくなってしまったのではないでしょうか。

 戦後ずっと米国に追いつき追い越せ、と一丸となって頑張ってきたのが、実際豊かになってみて、そのあと一体どこに行ったらいいのか、その後の方向性がどうも見えてこない。そのことが、日本の現状で一番危惧(きぐ)すべきことだと考えます。

 --なぜ、こうなったのでしょう

 中満 根本的な問題点は、いい意味での「個」が日本では確立していない。当事者意識がすべてのレベルで非常に希薄であることが原因と考えます。個が確立していることは個人主義とは違う。個が確立していないと主体的にものを考えず、誰かがきっと何かを考えてくれ、それに従ってやっていけば、これまで通り豊かな生活ができるのではないか、と思っている。

 明治維新以降、日本は均質的に非常にレベルの高い国民を公教育を通してつくることに成功したと思う。

 しかし冷戦終了とグローバル化によって環境が激変した。それに対応するには集団で均質的な人間が集まったグループでは無理がある。かなり思い切った方策で教育の方針を変えるなどの改革が必要だったのに、常識の枠の中で、いってみれば箱の中の改革のようなことしかやってこなかった。

 個が確立していないことは、国際的にみれば個人レベルで国際標準で競争できる人間の数が、国のサイズからみるとあまりにも少ないことに表れている。国際的な外交政策においても、日本を守ってくれるのは米国か国連かという、全く二者択一的な、非常に単純な議論しかなされていない。

 日本を守るのは日本です。日米同盟とか国連とかをうまく使いながら、日本の大きな戦略を自分たちが考えていかなければいけないのに…。

 ■個人の力 組織に生かせ 宮家氏

 宮家 僕はグローバル化の問題にとどまらず、どうしても1945年に行き着くだろうと思っている。敗戦を境にすべてが変わったとは思いませんが、集団主義的なものから個人主義的なものへの流れ、もしくは集団主義と個人主義との葛藤(かっとう)が、いまだ克服されていないような気がしてならない。

 私はアラブ人や中国人と付き合うことが多いが、彼らはうらやましいくらい個人主義的だ。ただ、彼らが作る組織は見事にダメです。同じ個人主義でも、欧米諸国は個人と組織の調和をうまく図っており、個人の力が組織的に生かされるようになっている。

 しかし日本の場合は個よりも集団、組織のほうが大事だった。敗戦後の占領下で激変があり、戦前の集団主義的なものが、個人主義的なものへと大きく流れが変わった。実際に教育など一部の分野では個人主義ですべてが動き始めた。ところが、社会全体ではまだ集団的なものが残っている。 

 今のいろいろな変化に対応できない最大の理由は、個人主義的な人たちが多数になってきているのに、その新しい統治の手法がまだ確立していないことにあるのではないでしょうか。

 葛西 戦前と戦後とで、私はそんなに変わっていないような気がする。例えば戦争に突入したときの形を見るとドイツやイタリアは明らかに強いリーダーがいて、リーダーシップに引きずられて戦争に入っている。日本は全く逆で、軍部が独走したというよりも、あれはリーダーシップ不在の中で民意に迎合して戦争に突入した。

 リーダー不在は、日本が島嶼(とうしょ)国家であり、安全や繁栄が決定的に脅かされることはないという風土から来ているのではないか。

 聖徳太子が十七条憲法で「自分は必ずしも聖ではなく相手は必ずしも愚ではない」「たくさんの人の意見に従えばいい」としているのは、まさに日本型の非リーダーシップ的リーダーであり、その原点です。

 日本でのリーダーシップ発揮の時期は幕末でしょう。西洋の植民地化に対抗する形で必要やむを得ず出た。

 戦後、敗けて国は滅びたが、うまい具合に朝鮮戦争が起き、米国が日本を共産主義の防波堤として徹底的に保護する仕組みになった。それで日本人はリーダーシップというものを学ばず、国策を自分で考えないで、黙って冷戦のレジームの中できちんと努力さえすればいいという風になった。

 本当は今、幕末と同じぐらい日本は独立あるいは存在の危機を迎えている。中国の存在はまさに脅威です。にもかかわらず、そのことを認識すらしないという、そこに今の問題がある。幕末の侍たちは認識していた。

 今の国の指導者たる政治家の一部は認識していない。その認識すら失ったのは、憲法9条と東京裁判によって作られた歴史的歪(ゆが)みのせいです。誤った歴史認識に日本人は縛られ、思考停止している。

 山折 個の確立ですが、ヨーロッパ近代の社会が作り出した個は、ヨーロッパ近代人の人間観と非常に深いかかわりがある。根本は「人間とはそもそも疑うべき存在だ」という認識。これは非常に徹底している。

 デカルト(注2)の「われ考える故にわれあり」の「われ考える」は「われ疑う」。徹底的に疑う主体としての個が存在したから、自然科学が発達し、そこにヨーロッパ近代の精神性が出る。ただ、個と個の関係性が疑うべきものでは社会を作れない。民族国家を形成するための2つの条件がありました。1つは「一神教の信仰」で、もう1つは「契約の精神」です。

 日本社会はこの2つの条件を欠いている。その代わりに日本人は「人間とはそもそも信頼すべき存在だ」という人間観を作り出した。ところが、現実には人間は裏切り続ける存在です。

 このジレンマを乗り越えるために作り出したのが、「組織を裏切るな」というモラルだったと思う。ここに集団主義の宿命的な問題が出てくる。信頼すべき人間同士のコミュニティーを強化するためにどうしても集団的な力に頼る以外にない。超越的なものが存在しないわけですから。そこから組織に対する裏切りが、人殺しより重い最高の悪とされたのです。

 そうした日本固有の社会構造、人間観があり、その上に近代以降、ヨーロッパの個人主義、個の自立という思想を受け入れた。明治以降のリーダーたちは必死になって調和させようとした。これは調和させる以外にない。あれかこれかの問題ではないですから。

 アジア全体の中では日本の維持してきたこの集団主義は、かなり良質の集団主義だと思う。個人主義を抱え込んだ集団主義、あるいは集団主義を内面化した個人主義。今はその良質の部分をどう発展させるかという岐路に来ていると非常に強く感じる。

 やはり、現代の日本には、協力なリダダーシップを発揮できおる人物が不可欠のようですね・・・。あらゆるしがらみを無視してでも、日本国民や国益になることを実行できる人物が登場できると良いと思うのですが・・・・。しかし、集団でしか、大きな行動ができない方が多い気もします。

このままでは、本当に日本の発展に貢献できるような子供達が育つのでしょうか・・・。

まずは、役人天国の現状を打破するしかないでしょう・・・。

 山折 異論があるかもしれないが、私は「経済成長率信仰」を根本的に変える必要があるのではないかと考えています。経済成長率さえ維持していけば、年金の問題も税金の問題も解決すると言わんばかりのことを政治家も経済人も言い出している。しかしね、もう世界全体が限界に来ている。この信仰に鍬(くわ)を入れることを、まず日本が率先すべきじゃないかと思う。

 大和言葉には「腹八分」といういい言葉があります。これは日本人のライフスタイルに直結した観念であり、感覚です。ところがね、若い者と一緒に居酒屋に行くと、飲み放題、食い放題の店があふれかえっている。食べよう、ばかりです。こういうものに歯止めをかけるため、「腹八分」という考え方はいろんな面で適応可能性を引き出すメッセージだと思います。

 それと経済成長率信仰の見直しは結びつく。ただ、経済が停滞していいのかといわれると困るが、「経済持続力」といった言葉もある。

 葛西 日本で抜本的な改革がなされた時期は、明治維新と大東亜戦争の敗戦です。いずれも外的要因による「非連続的改革」です。だから非連続的改革をやってみたらいいと思う。

 真っ先にやりやすいのは、公共事業と教育です。日本は今、土建立国になっているから、これから先、これまでのような国でやる公共事業では、一切新規の建設はやらない。いままで建設したものを21世紀の間、いい状態で使うためのメインテナンスの投資しかやらないことをまず決める。

 教育改革では、考える力をつけるための基礎と、集団で授業を受けることによって社会的な規律を身につけることに絞る。子供の数はどんどん減り、先生は大量に退職している。こんな絶好の機会はないので、先生の採用および教育予算は子供の減少に比例して抑制する。個別の施策のために抑制を解除する場合は、案件ごとに教育再生管理委員会のような組織が判定する。

 こうすると、公共事業と教育が退路を断たれた形になる。非連続的な改革の発火点になり、いろんなことが動き出すきっかけとなるかもしれない。相当乱暴な議論ですが、国鉄改革の場合はまさにそうだったわけです。

 宮家 おっしゃる通りで、非連続的な形でしか日本は改革ができない。外圧がなければ、もしくは環境が激変しない限りできない。今の日本では山折先生が言われた良質の集団主義が劣化し、その中で個人主義も劣化している。こう言うと不愉快かもしれませんが、まだ落ちるところまで落ちていない。落ちて、1億2800万人全員が「これはダメだ」と思わないと、一致団結して改革しない。その間は改革しようとする立派な人の足をみんなで引っ張るだけです。

 中満 倫理観の低下を私たちが感じていても、日本人ほど緻密(ちみつ)で勤勉でモラルが高い国はありません。

 ただ難しいのは、これらの長所、強みが実は短所、欠点と紙一重です。緻密で勤勉だからこそ、いざというときにダイナミックな考え方ができず、リーダーシップを取る人間が出てこない。対外的な関係を築くときに相手を信頼し過ぎて主張しない。こういう性質を表裏一体で持っているからこそ、改革が難しい。だが、逆にそれらを両方得ることができれば、ものすごいパワーになると思います。

 日本の劣化といいますが、例えばマンガやアニメの文化力は1960年代のビートルズに匹敵するぐらいの浸透力を持っている。しかしそうした力を結集するようないい意味での組織力、行動力が今、欠けています。

 「日本と世界」ではなく、「世界の中の日本」へ、発想を転換するため、英語を公用語化するような思い切ったことが必要ではないでしょうか。

 ■英語の公用語化検討を 中満氏

 --英語だけの公用語化ですか

 中満 もちろん国語化ではなく、日本語との併用です。官僚組織では重要な文書を必ず日本語に訳す。いかに時間と労力を使っているか。それを一切やめ、「そのまま読む」とすれば、英語を学ばなければ仕事ができなくなる。必要に迫られるわけです。

 山折 明治以前では、中国文明と日本文明はそういう共存関係でした。漢字文化を日本列島文化は消化した。それをやれということですね。

 葛西 江戸時代に2、3歳のころから漢文を読ませたような教育を一部の人に施すのはいいかもしれません。しかし、植民地のように他国の言葉で仕事をしなくてはならなくなったときには必ず支配される。

 以前、外資と対等合併した会社の社長に「社内の公用語は何だ」と聞いたら「英語だけだ」というので、「あなたの会社はもう負けたということだ。いずれダメになります」と言いました。その会社は半年後につぶれた。

 英国が、「英国病」(注3)と言われるように没落が危惧されながらも地位を保ったのは、英語が世界の覇権言語だったからです。日本語はそうではない。日本がこれから生き残るには、だれかと手を組むことが必要です。

 相手を間違えたら滅びる。それはやっぱり米国であり、小泉、安倍両氏は正しい。日米同盟が基軸であることに異を唱える人々は、ものの本質を見誤っていると思う。

 現実的な処方箋(せん)は、太平洋を内海とする密接な日米関係をつくることです。その方向に動けば、「日本病」が進んでもなんとかなると思う。

 宮家 日本が劣化することで、その正しい政策ができなくなる可能性があるのが怖い。

 葛西 山折先生の経済成長率信仰見直しには全く同感です。経済成長による税収増を重視する「上げ潮路線」は疑問です。必要なのは、厳(きび)しめの想定による日本経済の正確な将来予測であり、その試算に基づいた処方箋を現実的に考えなければならない。

 政府は消費税率論から逃げているが、国鉄の運賃値上げと一緒で、ずっと逃げて最後にドカンと値上げしたらうまくいかなかった。それと同じことになるような気がする。

 山折 いまよく「国家戦略」という言葉を使うが、その場合の戦略を作り上げる方法は常に目的合理性に基づいている。しかし、例えば明治維新における政治家たちがやったのは、目的合理性に基づく認識はもちろんあったと思うが、それ以上に「覚悟の国家戦略」だった。

 今の日本社会にとっても重要なのは「覚悟の戦略」と思う。葛西さんが言われたようにいろんな見取り図を作って、その中で選択する。これは合理的に説明できない場合があるわけです。そのときにどう覚悟するか。それがない。「覚悟の戦略」という発想が。

 宮家 グローバル化への危機意識をみんなに持ってほしい。とりわけ政治家です。なぜなら政治決断をしない限り、われわれが言ったことはすべて絵に描いた餅(もち)。しかし国会が衆参両院でねじれ、今のままでは本当に大事な政治決断をするチャンスを失う。政争をやっている暇はない。

 中満 思い切った政策を行っても、効果が国レベルで出てくるには時間がかかる。5年ぐらいのうちに思い切ったことをやり始めないと、間に合わなくなってしまう。

 --問題はリーダーですね

 葛西 リーダー教育は必要と思う。でも、例えば文部科学省の審議会で議論をして、国全体のシステムとしてリーダーを育てる仕組みを作るのは不可能だ。そこで、私は志を同じくする民間企業数社とともに、リーダーの卵を育てる中高一貫校を2006年、愛知県に開校した。一粒の種をまく、その動きがいくつか集まったときに何かが出てくる。自分にやれることをやっていこうと思っています。

 聞いた話ですが、米国人の最も多くの人たちが一番信頼するのが「米軍」だと答えるそうです。私の米国の知人をみてもそれはうなずける。高給をもらわず、強ぶらず、自己抑制の効いていて、しかも積極果敢である。

 いわゆる昔のいい米国のリーダーシップが残っている。日本の霞が関にはそれに当たるものがない。

 宮家 絶対ない(笑)。

 葛西 ビジネスの世界はもっといません。リーダーを育てるには時間がかかります。

 中満 どんな職場組織でも、入って2、3年たつと「この人は将来リーダーになるだろうな」という人間は大体見えてくる。そういう人材を育てる意識的な努力がもっとなされた方がいい。要するに、どんどん責任を与え、失敗を含めて自分で学び取らせていく。そうした取り組みが霞ケ関はもちろん、ビジネスの世界でもなされていけば、将来のリーダーの卵が生まれてくるのではと思います。

 山折 歴史に学べば、日本の改革革命で最も見事な成功例は明治維新。あれは無血革命に近い。前提は江戸城無血入城です。そこに西郷隆盛(注4)と勝海舟(注5)というリーダーがいます。彼らが何を最終的に目標にしていたかというと、前述した聖徳太子の「和」の問題が出てくる。その意味で集団主義は非常に根が深い。

 私は、明治維新で示されたリーダーたちの一種の集団主義、和の精神は、いつでも死を覚悟していたと思う。

 よく非暴力、平和主義というとインドのマハトマ・ガンジー(注6)が想起されますが、ガンジーも死を覚悟し、最後は暗殺された。絶対平和主義を唱える日本人はそこを見ていない。日本人がこの甘さを乗り越え、その上で明治無血革命の集団主義、和の精神をどう質を高めて継承するかです。

 葛西 明治になって大久保利通(注7)は暗殺された。

 山折 毎日暗殺の危機感の中で活動していたわけでしょう。すごいと思いますよ、その精神力は。

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2007年12月 9日 (日)

【防衛利権の闇(5=最終)】

  、「怨念は組織の私物化につながった」とも、言われた守屋氏・・・。

「普天間」の怨念 人事で独裁築く 組織私物化…外務省に雪辱

2007.12.2 22:36

このニュースのトピックス:守屋前防衛次官問題

「防衛庁を一流にする」との気概から、他省庁を相手にした議論で一歩も引かなかった前防衛事務次官、守屋武昌(63)。そんな「豪腕・守屋」も一敗地にまみれたことがある。

 平成7年9月、沖縄県北部で起きた米海兵隊員による女児暴行事件をきっかけに、米軍基地の整理・縮小を検討する「日米特別行動委員会」(SACO)が発足。守屋は沖縄担当審議官として前線に立ち、懸案の普天間飛行場(宜野湾市)を嘉手納空軍基地(嘉手納町など)に統合する案を主張した。

 しかし、8年12月に日米が合意したSACO最終報告では、撤去可能な海上ヘリポート案が採用された。嘉手納統合案は米側と外務省、地元の反対で消えた。

 「外務省にしてやられた」。当時、守屋が部下の前で何度も憤る姿が目撃されている。

 防衛庁元幹部は「守屋はその悔しさをずっと引きずり、『普天間飛行場移設だけは自分が動かす』と思い続けてきた。怨念(おんねん)だ」と語る。そして、「怨念は組織の私物化につながった」とも。

 側近を重用し、煙たい人物は排除する-。人事権を握った官房長時代に顕著になった。防衛局長になると制服組の人事にも口を出した。次官就任後は、局長が承認した人事案をひっくり返すことも多く、「先に次官に見せろ」との局長指示で“逆決裁”が定着した。

▼  ▼

 「官僚の力の源泉はすべて人事権だ」。防衛庁元首脳はこう喝破する。特に“軍”として上下関係の統制が不可欠な防衛省では、人事権の威力は絶大だ。

 SACO以来、沖縄の米軍再編問題を「ライフワーク」ととらえた守屋は15年8月に次官に就任すると、「沖縄」に邁進(まいしん)する。当時、普天間飛行場移設問題は地元の反対運動で宙に浮いていた。

守屋は移設先をキャンプ・シュワブ(名護市など)とする陸上案を提起。防衛庁長官の大野功統(72)も同調した。これに対し、ナンバー2の防衛施設庁長官、山中昭栄(58)は同じ自治省出身の官房副長官、二橋正弘(65)とともに海上案を主張した。明らかな路線対立だった。

 「守屋側は地元に強圧的だったが、山中側は自治省出身らしく、地元住民の生活を考慮した案をとった」と防衛庁元幹部は解説する。

 17年3月、二橋が招集した首相官邸での会議に山中が出席したことで事態が変わる。大野は会議について「聞いてない」と激怒。守屋は山中に「勇退してほしい」と告げた。山中は会議出席について守屋に了解を取っていたのに、守屋は山中を擁護しなかった。守屋の次の次官と目された山中は退任した。

 「山中切りで、長期政権の下地を作り上げた」と当時の防衛庁幹部は振り返る。

 守屋は海上案を支持した他の幹部も次々と配置転換した。その代わり、那覇防衛施設局長にノンキャリアの佐藤勉(61)を抜擢(ばってき)するなど、側近を要職につけた。

▼  ▼

 18年5月、守屋が発案したとされるキャンプ・シュワブ沿岸部へのV字形滑走路建設案で日米が最終合意した。10年前に守屋が煮え湯を飲まされた外務省の推す海上案は葬られ、守屋はリベンジを果たした形だ。

 「初めて外務省に勝った防衛次官だ」。防衛専門商社「山田洋行」元専務、宮崎元伸(69)は逮捕前の取材に、こう守屋をたたえていた。

 守屋の評価は上がり、翌6月には首相、小泉純一郎(65)の訪米に防衛事務次官として初めて随行した。今年1月には省昇格を果たし、「防衛庁を一流にする」という言葉を現実にした。

 「来年(20年)3月まで次官を続けることで官邸と合意している」。真偽は不明だが、このころ守屋は宮崎にこう打ち明けていた。

しかし、沖縄県や名護市など地元は依然、日米合意に反対し、移設問題は膠着(こうちゃく)状態が続く。省昇格直前の1月初めに防衛庁長官の久間章生(66)がV字案見直しを唱え始め、守屋と対立を深めた。暗雲はすでに立ち上っていたのだ。

 8月、防衛相の小池百合子(55)が守屋に辞任を迫った。「小池と沖縄県知事が密約を交わし、守屋を辞めさせた」とは守屋サイドの言い分だ。守屋は首相、安倍晋三(53)に辞任撤回を直談判し、最後まで政界工作で延命を図った。

 その裏で新商社「日本ミライズ」を設立した宮崎が、米軍再編に伴って沖縄の米海兵隊がグアムに移転する際の事業に参入する動きをみせていた。「守屋の情報に基づいた行動だ」と指摘する関係者もいる。

 「一人を以て国興り、一人を以て国滅ぶ」。守屋は9月3日の離任あいさつで、この言葉を職員・隊員に紹介した。約3カ月後の11月28日、守屋は収賄容疑で逮捕された。守屋一人によって国防の信頼が崩れようとしている。(敬称・呼称略)

 まるで、守屋氏は徳川幕府の一役人からのし上がり、側近を重用し、煙たい人物は排除して権勢を高め、大老となったかのような人物のような気がします。諫言した方もいたでしょうが、そうしたことに耳を貸さなかったツケが回ってきたんでしょうね・・・。

『防衛庁を一流にする』どころか、今回の一件で防衛省の立場は益々、小さくなったのではないでしょうか・・・?

しかも、今年の8月に小池元防衛相から辞任されそうになると、当時の首相、安倍伸三氏に辞任撤回を直談判し、最後まで政界工作で延命を図る等、往生際の悪い人物かもしれませんね・・・。

しかし、本当に国民の利益を考えている政治家・議員・省庁のお役人はいるのでしょうか? 既得権益を守るのに汲々としているように見える方ばかりのような気がするのですが・・・。

渡辺行政改革大臣の要請で独立行政法人の改革に反対する大臣ばかりですし・・・。

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【防衛利権の闇(4)】

  しかし、逆に感心してしまう程の守屋氏の行動ですね・・・。

施設庁利権でも暗躍 基地の町に「金出します」

2007.12.2 00:33

このニュースのトピックス:守屋前防衛次官問題

平成12年は航空自衛隊松島基地(宮城県矢本町=現東松島市)にとって、まさに“厄年”だった。3月に練習機が女川原発に近い同県女川町の山林に墜落。7月にはアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」の練習機2機が墜落し、計4人が死亡した。

 そのさなか、事故で揺れる矢本町役場を、前防衛事務次官、守屋武昌(63)が訪れた。県内選出の元衆院議長伊藤宗一郎の女性秘書が同行していた。

 「事故でご心配をかけているので、対策が必要でしょう。たとえば温浴施設を造られては? 金は出しますよ」

 守屋は当時の町長と町議会議長の阿部秀保(52)にこう提案したという。

 守屋は同県塩釜市出身で、当時は旧防衛庁(現防衛省)官房長だ。基地の地元対策に直接かかわる立場ではない。同行した女性秘書は矢本町出身で、守屋の政界人脈づくりを後押ししてきた人物だ。

 守屋の提案を受けて、町は13年6月、(1)防衛施設庁(今年9月に防衛省に統合)の補助事業で健康増進センターを建設(2)ブルーインパルス・ミュージアム(仮称)を建設-の2点を防衛庁に要望した。

 健康増進センターは14年度から事業化した。総事業費約12億円の半額を施設庁が補助し、17年4月、JR矢本駅前に「ゆぷと」の名称でオープンした。この事業の基本設計と事業監理は東京の設計会社が受注し、町は3年間の事業監理委託契約費として計1200万円余りを支払っていた。

 この契約に、地元業者からは「なぜ東京の会社がやるのか」との疑問の声が上がっていた。町関係者は「この設計会社は女性秘書と関係が深かったんだよ」と種明かしする。

 「私は施設庁の業者選定に関与できる。守屋が庁内に顔が利くから」。女性秘書は周囲に自慢げに話していたという。

 守屋が恩義ある女性秘書のため、施設庁の補助事業を生み出す-。持ちつ持たれつの構図があったことが浮かぶ。

防衛利権」は装備調達だけでなく、防衛施設庁の発注事業(17年度予算で約5400億円)にもあった。

 東京地検特捜部が昨年1~3月、施設庁発注工事をめぐる官製談合事件を摘発した際も、複数の政治家が特定の業者に受注させるため口利きした疑惑が浮上した。このうち防衛庁政務官経験者と施設庁側の仲介をしたとされるのが、守屋だった。

 ただ、施設庁最大の利権である土木・建築工事を所管する建設部は技官の集まりで、他部署との人事交流がほとんどない「聖域」だ。特権意識の強い技官集団に対しては、守屋の力も及ばないことがあったようだ。

 15年8月に事務次官になった守屋は「聖域」の解体に挑んだ。17年8月には建設部の要職、建設企画課長に初めて事務方のキャリア官僚を送り込んだ。

 「守屋は施設庁の利権にも手を突っ込もうとした」。施設庁元幹部は言い切った。

「守屋さんが国政に打って出るらしい」。守屋が官房長時代、週に1度の割合で故郷の宮城に帰ることから、防衛庁内でこんなうわさが流れた。

 実際、矢本町役場に同行した女性秘書は伊藤の後継に守屋を推し、熱心に活動した。伊藤が13年9月に死去し、長男の信太郎(54)が跡を継ぐと、17年10月の宮城県知事選で守屋の擁立話が浮上したという。

 旧矢本町関係者は「矢本町で計画した2つの事業は、選挙資金集めの意味合いがあったんだと思う」と指摘する。

 だが、ブルーインパルス・ミュージアムの建設計画は頓挫した。総事業費約40億円のうち30億円を施設庁が補助することになっていたが、17年4月に矢本、鳴瀬両町の合併による東松島市の市長選で、収入が見込めないと建設に反対した候補が当選したためだ。

 新市長になったのは、5年前に守屋と面会した阿部だった。市長就任直後、事業の白紙化を報告するため防衛庁事務次官室に守屋を訪ねた。

 「大事な話があるんです」と切り出す阿部を遮るように、守屋は「造らないんですね」と言った。不機嫌さを隠さず、阿部に目を向けさえしなかったという。(敬称・呼称略)

     全能と勘違いして野心を燃やし続けた守屋氏のようですね・・・。

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【防衛利権の闇(3)】

  今さらですが・・・。

情報操作でライバル蹴落とす

2007.11.30 17:50

このニュースのトピックス:守屋前防衛次官問題

旧防衛庁(現防衛省)調達実施本部の背任事件から4年近くたった平成14年5月。再び庁内を震撼(しんかん)させる不祥事が発覚した。情報公開法に基づく請求者の身元を独自に調べてリストを作成していた問題が明らかになり、事務次官の伊藤康成(62)ら29人が大量処分された。

 その中に官房長の柳沢協二(61)がいた。問題への対応に不手際があったとして、更迭という重い処分が下された。

 柳沢は前防衛事務次官、守屋武昌(63)の1期先輩で昭和45年入庁組。背任事件に伴う抜擢(ばってき)人事で当時防衛局長だった守屋に先行されたが、次期次官の最右翼に変わりはなかった。しかし、更迭で柳沢の目はなくなった。

 「守屋さんの運の強さは計り知れない。柳沢さんが次官になっていたら、守屋さんはなれなかった」。防衛省の現役幹部やOBは口をそろえてこう言う。

 守屋の強運は背任事件から続く。同事件で官房長=昭和41年入庁=が引責辞任、平成14年に守屋の前任の防衛局長=昭和44年入庁=が体調不良で退任と、次官候補が次々と去った。

 ただ、柳沢が更迭された情報公開請求者のリストは守屋が官房長時代の平成13年4月から作成されており、庁内では「なぜ守屋さんは処分されないのか」と疑問の声が上がっていた。

 「守屋は情報操作する。運のよさだけで上にいったわけじゃない」。元幹部は苦々しげに語った。

▼   ▼

 情報操作-。それが端的に現れたのは15年のことだった。

 同年5月26日午後6時24分、宮城県気仙沼市沖を震源とする強い地震が発生。同県北部などで震度6弱を観測した。

 防衛施設庁長官の嶋口武彦(62)は午後6時から、庁内で部下と酒を飲んでいた。地震発生直後に長官室に戻り、緊急対策会議に備えた。ところが、いつまで待っても音沙汰(さた)がない。結局、会議開催は2時間たった午後8時半からだった。

 この間、次官の伊藤や守屋らは元防衛副長官、萩山教厳(75)の叙勲祝いの酒席を優先し、会議を遅らせていた。

「飲み会が終わるまで会議をやらないとはどういうことだ!」。嶋口は会議で烈火のごとく怒った。さらに「何やってんだ、あんたらは」と伊藤や守屋らを罵倒。それが酒に酔った放言と受け取られ、防衛庁長官の石破茂(50)=現防衛相=ら首脳のひんしゅくを買った。

 まもなく週刊誌にこの話が取り上げられ、問題は大きくなった。そのときの記事は、守屋らが地震発生後も宴会を続けていたことに一切触れていなかった。

 「週刊誌に売ったのは守屋側近の課長であることはまちがいない。嶋口さんの追い落としだ」(防衛省OB)

 嶋口は同期の柳沢の失脚で次期次官になることがほぼ固まっていた。当時59歳の守屋はそのまま退任するはずだった。だが、“舌禍”問題で立場が逆転した。15年8月、守屋はついに頂点を極める。同時に嶋口は防衛庁を去った。

▼   ▼

 「守屋は『宮崎学校』の生徒。宮崎の組織論をコピーし、防衛省で実践した。情報操作もその1つ」。山田洋行関係者はこう分析する。

 山田洋行元専務の宮崎元伸(69)は入社前に3年間、軍需商社で勤務していた。経営者は元スイス駐在海軍武官の藤村義一だった。藤村は先の大戦で敗戦直前に対米和平交渉に尽力した人物だ。

 宮崎は「藤村さんから旧軍の諜報(ちょうほう)組織のノウハウを教わった」と周囲に説明していた。宮崎はこれを応用し、情報戦でライバルを排除する手法をとり、山田洋行内で独裁体制を固めたという。

 守屋の体制づくりもこれに酷似する。「結局、宮崎が守屋の先生なんだよ」。山田洋行関係者は言う。

 装備品納入に絡む水増し請求問題の処分に介入するなど、宮崎に便宜を図ったとされる守屋。

 ゴルフ・飲食接待だけでなく、体制づくりの教えでも「宮崎先生」の恩にきっちり報いる働きをした“優等生”だったことになる。(敬称・呼称略)

 まさに、今の守屋氏は、『人を呪わば穴二つ』状態ですね・・・。

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2007年12月 6日 (木)

【防衛利権の闇】

  続々と暴かれていく防衛利権の闇・・・。果たして、どこまで白日の下に晒すことができるのでしょうか・・・。

「田村さんは終わった人、守屋さんを捕まえておけばいい」

2007.11.8 21:43

このニュースのトピックス:守屋前防衛次官問題
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 自宅を出る防衛商社「山田洋行」元専務の宮崎元伸容疑者=8日午前11時47分、横浜市青葉区

 二十数年前のことだ。当時大蔵省(現財務省)主計局で防衛庁の予算を担当していた同省元幹部は、まだ防衛庁経理局の若手だった前事務次官、守屋武昌(63)に会食に招かれた。

 席に行くと、見慣れぬ男性が同席していた。当時は山田洋行の取締役だった同社元専務、宮崎元伸(69)。予算を握る主計局職員を各省庁がもてなす「官官接待」が横行していた時代のエピソードだが、「タニマチのような業者を会食の場にまで連れてくる人はいなかったので、奇異に感じた」と元幹部は振り返る。

 元幹部が「当時は社名すら聞いたこともなかった」という山田洋行の名が一躍鳴り響いたのは、平成に入ってからだ。

 防衛関連業界で今も語り草になっているのは、平成元年、米ゼネラルエレクトリック(GE)が開発したF2支援戦闘機エンジンの販売代理権を山田洋行が三井物産から奪取した出来事だ。

 「あれには驚いた。宮ちゃんには誰もかなわない」。大手商社幹部が語る。中堅の専門商社が、40年近くGEの代理権を独占していた大手商社を出し抜いたのだ。宮崎の営業力が初めて業界他社の驚異に映った。

 これに続いて山田洋行は、AWACS(空中警戒管制機)エンジン、E2C早期警戒機のレーダー部品の代理権などを、三井物産系の商社や住友商事などから次々と奪い、年商を百数十億円から300億円前後へと一気に伸ばした。

 宮崎は取材にこう語っている。「15年ほど前から複数の海外メーカーから代理店指名を受けるようになり、経営が軌道に乗った。専門商社でも信頼されればできるんだという実感が持てた。私が営業のすべてをやっていたんです」

宮崎は昭和13年、福岡県生まれ。高卒で航空自衛隊に入った後、夜間の中央大経済学部を卒業した。退官のきっかけは40年ごろ、大手商社幹部から「うちに入らないか」と誘われたことだった。

 「知人に相談したら、『大手商社だと課長止まりだ。今度新しい商社ができるから、そっちで頑張れば』と助言された。それが山田洋行だった」と宮崎は振り返る。

 助言に従い、44年の設立と同時に山田洋行に入社。防衛・航空機部門の営業責任者となった。機械、電子機器など他の部門は徐々に縮小され、宮崎の言葉通り、営業全般を受け持つことになる。

 51年に取締役、63年に専務へ昇格。この間、防衛庁(当時)や陸海空の自衛隊幹部らのもとに足しげく通って人脈を築く一方、社内では“独裁体制”の構築をひそかに進めた。

 「宮崎さんは入社から15年かけて、自分の障害になる人物を退社させたり、関連会社に左遷した。周りをイエスマンで固め、情報が自分にしか集まらないシステムを作り上げた」と山田洋行関係者は指摘する。

 大手商社から代理権を奪う快進撃で、宮崎の影響力は強まった。平成5年に代表取締役専務に就任。外部も認める「宮崎体制」が築かれた。

 ただ、同社の躍進を支えたのは、きれいごとの営業活動だけではない。

 空自幹部学校長(空将)で退官し、平成元年に参院議員となった田村秀昭(75)=今年7月に不出馬で引退=の存在を抜きにしては語れない、と山田洋行元幹部は言う。

田村は現役空将だった昭和60年代から山田洋行にホテル宿泊費などの負担を受け、平成元年の参院選に初出馬した際は、山田洋行が2億円の選挙資金を捻出(ねんしゅつ)していた。宮崎はこの参院選前後に田村の後援会「真一会」を設立しており、田村が政治家になっても支援を続けた。

 「田村さんの政界進出と軌を一にして山田洋行が急成長した。田村さんの影響力が働いたのは確かだ」。山田洋行元幹部はこう断言した。

 ただ、民主党代表小沢一郎(65)とともに野党を渡り歩いた田村の防衛庁への影響力は年々衰えたといわれる。

 宮崎は山田洋行を退社して独立する前、同社幹部にこう言い放ったという。

 「田村さんは終わった人だから、守屋さんを捕まえとけばいい」

(敬称・呼称略)

 宮崎容疑者が8日、業務上横領容疑などで東京地検特捜部に逮捕された。山田洋行の急成長の陰には守屋前次官をはじめ政官業の癒着がかいま見える。「防衛利権の闇」を追った。

政界への「足場」構築

2007.11.10 01:14

このニュースのトピックス:守屋前防衛次官問題
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政権交代のはざまで機種選定が揺れた航空自衛隊の多用途支援機「ガルフストリームIV」(自衛隊装備年鑑から)

 政治家が国の防衛装備選定に介入する。普段は見えないその「奥の院」の動きがちらりと垣間見えたのは、平成6年夏のことだった。

 「さまざまな疑惑がある以上、防衛庁(現防衛省)の結論は承認できない」

 新生党などの旧連立政権が瓦解し、自民党が政権に返り咲いた直後の同年8月、村山内閣の自治相になった野中広務がこう発言し、防衛庁のUX(次期多用途支援機)選定に待ったをかけた。

 防衛庁が翌年度から9機調達を計画したUXは、総額400億円近い巨額商戦だった。米ガルフストリーム社製など3機種が候補となり、旧連立政権下で進められた選定でガルフ社製の調達が内定していたが、野中の一言で白紙に戻された。

 野中は当時、取材にこう語っている。「防衛庁出身議員がすべて新進党に行った結果、防衛庁の自民党に対する空気が一変し、防衛産業も右へならえした。UX選定には防衛庁出身議員の動きなど疑惑が多すぎる」

 野中の言った「出身議員」とは、元空将で当時新進党参院議員だった田村秀昭のことだ。

 UXの選定が始まる直前の6年5月、田村はガルフ社製の同型機を格安の費用でチャーターし、自衛隊の海外活動を視察していた。「あれは選定現場に対する露骨なデモンストレーションだった」と同庁OBは言う。

 政権交代のはざまで、巨額の「防衛利権」にたかる政治家の姿が見えた場面だった。

「趣味・テニス、尊敬する人物・小沢一郎」

 田村は報道機関のアンケートによくこう答えていた。

 自民党旧竹下派から新生党新進党→自由党→民主党と、長く小沢と行動を共にした田村は、実は初当選の前から防衛専門商社「山田洋行」元専務の宮崎元伸と抜き差しならぬ関係にあった。

 現役空将だった昭和61~62年ごろ、田村は毎月のように、箱根のホテルへ1泊2日でテニスに出かけていた。その予約から費用の支払いまでを、宮崎の指示で同社が丸抱えしていた。

 「宮崎さんから前日夜に『田村さんが明日テニスに行くから』と告げられ、担当者が慌ててホテルの支配人宅に電話し、テニスコートの予約を取り付けたこともあったそうです」と同社関係者は明かす。

 田村が初当選した平成元年7月の参院選の数カ月前、退官したばかりだった田村は、元自民党副総裁金丸信(故人)の側近の事務所を訪ねた。

 「比例名簿の私の順位は20位台の前半になるそうです。このままでは当選できない。なんとか金丸先生にお目通りを」

 懇願された側近は、金丸の有力後援者に都内の料亭で田村を“面接”させた上で、金丸との面会をセットした。メガネにかなった田村は、金丸の家にマージャンに招かれる仲になった。

 この時期、山田洋行の宮崎らは、田村の選挙資金を工面するため、借金までして2億円を集めていた。資金が渡ったかは不明だが、田村の名簿順位は13位に上がり、当選圏内に滑り込んだ。

 山田洋行の「政治」への足場はこうして築かれた。同社は平成元年を境に空自機装備などの大型商権を次々獲得し、急躍進を遂げる。

UX選定が頓挫していた6年8月、田村は前月に退官したばかりの元空将(現山田洋行顧問)らを連れて訪米した。

 米政府関係者らと会談した日程の合間に、ダグラス、ロッキードなど米国の主要な軍需産業8社の副社長クラスを集めて会食していた。この会食をセットしたのは、日米の政治家や防衛官僚、防衛産業に幅広い人脈を持っていたワシントン在住の弁護士、ジョン・カーボ(昨年死去)だった。

 同年暮れに来日したカーボは取材に応じ、新進党など日本の政治家との交友は認めたが、防衛装備選定へのかかわりについては口を閉ざした。

 その数年後に訪米した自民党の防衛庁長官経験者も、カーボがホスト役の米軍需産業による歓迎食事会に招かれた。「誤解を招く」と出席は辞退したが、このときカーボのアシスタントとして窓口役をしていたのは、山田洋行の米現地法人の役員だったという。

 日本の政治家と米国の軍需産業をつなぐ点と線。その背後に、米国製装備の代理店として業績を上げた山田洋行の影が見え隠れしている。(敬称・呼称略)

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2007年11月30日 (金)

小泉元首相は、守屋氏事件についていかに?

  小泉政権下で、活躍し、どんどん出世していった守屋氏・・・。果たして、小泉元首相は今回の守屋氏の事件をどう考えているのでしょうか?

社説:前次官の功罪

小泉元首相の感想が聞きたい

「前次官逮捕」の余波が続いている。

 29日の自民党国防関係合同部会では、守屋武昌前防衛事務次官の次官在任期間が異例の4年余に及んだことについて「歴代長官、大臣にも問題があったのではないか」との指摘がなされた。石破茂防衛相は「昨日(28日)を防衛省再生の日にする」と答えたという。

 また首相官邸は12月3日にも「防衛省改革に関する有識者会議」の初会合を開き、防衛装備品の調達方法や組織の規律保持について議論を始めることになった。大胆な改革を期待したい。

 闇に包まれた防衛利権の実態解明は、第一義的には強制権のある東京地検の仕事である。ただし、政策面や人事面から守屋前次官の功罪を徹底的に検証することは、政界に課せられた責任だ。その作業なしに、事件の再発防止と省の再生は果たせないはずだ。

 守屋容疑者が次官として君臨した期間は、03年8月から今年8月末までの4年1カ月である。次官は2年が相場と言われる中央省庁にあっては突出して長い。これに先立ち、02年1月には官房長から防衛局長に昇格している。

 この期間の特徴は、日本の防衛政策の重大な転換点をいくつも含んでいることだ。

 まず01年12月、旧テロ対策特別措置法に基づくインド洋での給油活動が始まった。03年6月には長年の懸案だった有事関連3法が成立し、イラク復興特措法の成立(同7月)、ミサイル防衛システム導入の閣議決定(同12月)と続いた。さらに守屋次官時代の大仕事には、在日米軍再編の日米合意(06年5月)がある。

 一見して明らかなのは、これらの政策転換が小泉政権時代に集中し、守屋容疑者はその実現に奔走することで実力次官としての地歩を固めていったことだ。特に小泉純一郎元首相の懐刀であった飯島勲元首相秘書官を後ろ盾にし、再編協議では外務省をしのぐ影響力を発揮したと言われる。

 ならば、小泉元首相は事件を受けて結果責任をどう考えるのか。なぜ彼を重用し続けたのか。検証作業の一環としてぜひ感想を聞かせてほしいものだ。

 防衛政策の転換は、装備品の新たな発注や基地建設など巨額の財政支出に直結する。守屋容疑者は数多くの転換点に立ち会うことによって、利権の衣をまとう存在になったと考えることができる。利権のにおいに敏感な業者や政治家に対し、有利な立場にあったことは想像に難くない。

 人事面からの検証も必要だ。政府は局長級以上の省庁人事について、正副官房長官らによる閣議人事検討会議で承認することにしている。官僚任せにせず、政治のチェック機能を果たすためだ。

 ところが、同会議は守屋容疑者の続投方針をあっさりと追認してきた。小泉官邸はそれを後押ししたのか。飯島元秘書官は閣僚候補に対するいわゆる「身体検査」で勇名をはせたのに、前次官については何も情報がなかったのか。これも元首相に聞いてみたい。

毎日新聞 2007年11月30日 0時02分 (最終更新時間 11月30日 1時14分)

 これも、守屋氏の政治家への根回しが効いていたのかどうか・・・。守屋氏が次官であった期間が異様に長いのも、守屋氏独自の気配りや、根回しが影響していたのでしょうか・・・。

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2007年11月29日 (木)

【防衛利権の闇(2)】

 防衛省内、官僚のトップとなるまで、かなり細かい気配りをしていたようですが、その気配りが国民の為に生かされていれば・・・。

お世辞、土産…「守屋を見習え。あの気配りはすごい」頂点へ

2007.11.29 18:32

このニュースのトピックス:守屋前防衛次官問題
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「おれが三流官庁の防衛庁を一流官庁にする」。守屋容疑者は「気配り」を重ねて政界人脈を築きあげ、頂点へ上り詰めた

 

「おれが三流官庁の防衛庁を一流にする」

 前防衛事務次官の守屋武昌(63)は若手のころ、同僚をつかまえてはこう力んでいた。

 守屋は昭和19年、宮城県の港町、塩釜市で生まれた。父は衆院議員を6期務め、塩釜市の初代市長になった栄夫(えいふ)。名家の出だが、少年時代は物静かで目立たない存在だった。

 中学・高校の先輩は「まじめだったが、ずば抜けて勉強ができるわけじゃなかった。努力型。運動音痴だったので、ゴルフを何百回もしていたなんて信じられない」と話す。

 仙台市の名門進学校を経て、東北大法学部に進んだ。卒業後はいったん民間企業に就職したが、2年後の昭和46年にキャリア官僚として防衛庁に入った。

 若手のころは、少年時代と変わらず勉強家だったという。「遅れて入庁したハンデを取り戻そうとするように、自衛隊の装備や編成について猛勉強していた」(防衛庁OB)

    ■  ■

 56年、東北大の先輩でもある宮城出身の元衆院議長伊藤宗一郎が防衛庁長官になったことで、転機が訪れる。「宮城の女帝」と呼ばれた伊藤の女性秘書と出合ったのだ。

 この女性は元首相、竹下登の妻らと親交を結ぶなど「半端じゃない政界人脈」(秘書仲間)を持つ異能の秘書。「男だったら国会議員になっていた」と言われたほど豪気で、面倒見のよさから多くの防衛官僚が周囲に集まった。

 中でも同郷の守屋を「おい、守屋!」と呼びつけては子供のようにかわいがり、守屋が旧竹下派を中心とした政界人脈を築くのに一役買ったという。

 守屋自身も政治家との酒席では、歯の浮くようなお世辞を言ったり、酒を注いで回ったりするなど“男芸者”を演じて重宝がられ、防衛族議員らの会合に頻繁に呼ばれるようになった。

 出張のたび、有力な防衛族議員に地元の名産品を宅配便で送る気配りも見せた。

 防衛省OBの一人は課長だった十数年前、防衛庁長官の秘書にこう言われたことがある。

 「あんたも守屋を見習えよ。あの気配りはすばらしい」

   ■  ■

 防衛省は巨額の予算をめぐり、常に野党の追及にさらされてきた歴史がある。このため防衛官僚には、与党政治家への根回しや意思疎通が欠かせない。

 その中で守屋は、政界人脈を力の源泉に次官への道を駆け上った。

 平成2年、エリートコースの入り口とされる航空機課長に就任。これを機に、山田洋行元専務の宮崎元伸(69)からの飲食接待が頻繁になっていく。

 米国メーカー「ゼネラル・エレクトリック」(GE)の日本法人幹部とも懇意になった。6年に筆頭課長の防衛政策課長になると、ゴルフ接待も始まった。

 「守屋は地味な存在で誰も次官になるとは思っていなかった。でも政治家の後押しがあった…」(防衛庁元幹部)

 平成10年、防衛庁調達実施本部の背任事件が発覚し、証拠隠滅の疑いで当時の事務次官や官房長が次々と引責辞任した。このとき長官を辞職した額賀福志郎(63)が置き土産を残した。

 「次の官房長は守屋がいい」

 防衛施設庁施設部長だった守屋が3階級特進し、次官レースに名乗りを上げた瞬間だった。

 その後も、「防衛族のドン」と呼ばれた自民党前副総裁、山崎拓(70)の外遊に側近の前防衛政策課長、河村延樹(47)を案内役につけるなど、政界への心遣いを絶やさなかった。

 政治家人脈をテコに力を付ける守屋。その軌跡は、宮崎の山田洋行が防衛装備調達で業績を伸ばす軌跡と重なっていた。(敬称・呼称略)

 政治家に気配りし、政界への根回しを絶やさず、出世コースにのった守屋氏・・・。企業からの接待攻撃に負けることなく、国民の方を向いていれば・・・。

しかし、ここまで事件が大きくなると、守屋氏を後押しした政治家さん方にも責任がある気が・・・。

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【防衛利権の闇(1)】

  本来、『倫理監督官』として、部下の行動をチェックし、指導するお目付け役の筈が、夫婦揃って立場を利用しての悪徳三昧・・・。国を守ろうと自衛隊に入隊し、インド洋のでの給油活動等に携わった自衛官などは、防衛省自体が、情けないやら、恥ずかしいやら、憤慨している方もいることでしょう・・・。もちろん、国民の憤慨や落胆は大きいものがあると思います。

夜の人脈誇示 自民領袖・議員、宴席にズラリ

2007.11.29 02:09

このニュースのトピックス:守屋前防衛次官問題
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東京地検の取り調べに向かう守屋前防衛事務次官=28日午前、東京都新宿区

 旧防衛庁(現防衛省)が東京・六本木から市谷に移転して間もない平成12年5月ごろ。新庁舎の廊下で2人の幹部が向かい合っていた。

 経理局長の嶋口武彦(62)と官房長の守屋武昌(63)。会議前の立ち話だった。

 「お前なあ、倫理規程ができたんだから、(業者からの接待は)いい加減気をつけろ」

 入省年次が1年先輩の嶋口は、同年4月に出入り業者とのゴルフや飲食を禁じた自衛隊員倫理規程が施行されたことを踏まえ、こう切り出した。

 庁内で毎日配布される幹部の行動予定表の中で、守屋の夜の予定の多さは際立っていた。毎晩1~3回程度の「会合」がいつも記載されていた。その頻度からみて、すべて自己負担の会合ではないことは容易にうかがえた。

 だが、嶋口の苦言に、守屋は平然とした顔で答えたという。

 「嶋ちゃん、あんなのいくらでも抜け道があるんだよ」

 「お前、官房長だろう。取り締まる立場なんだぞ」と嶋口は重ねて自覚を求めたが、守屋の態度は変わらなかった。

 守屋は山田洋行元専務、宮崎元伸(69)から、飲食接待のほかに8年間で300回を超すゴルフ接待を受けていた。倫理規程の施行前後から、ゴルフの際は夫婦で偽名を使うようになっていた。守屋が言った「抜け道」とはこのことだったのか-。

    ▼  ▼

 毎晩のように酒席を渡り歩いた守屋。庁内ではそれを隠すより、むしろ「夜の人脈」を誇示するように見えたという。

 他の幹部は行動予定表に夜の会合をすべて書かない方が多かったと語っている。

守屋の「会合」の相手は業者のほか、政治家も多かった。「ゆうべは○○議員と飲み明かした」と周囲に話したり、省内で会議中に議員から電話で呼び出され、酒席に出かけていくこともあった。

 守屋が官房長だった13年ごろ、当時の同省幹部は守屋に誘われて酒席に出向き、相手の顔ぶれに驚いた。派閥領袖を含む自民党議員らだった。

 この幹部は一時、守屋と出世レースで競り合う立場だった。

 「役人は政治家を味方に付けられれば仕事がやりやすい。特に防衛官僚はそうだ。守屋は政治家の人脈を誇示することで、私に力を見せつけたかったんじゃないか」。幹部はこう振り返った。

 事務次官を異例の4年間も務めることができた背景に、守屋を買う政治家らの根回しがあったといわれる。

▼  ▼

 「山田洋行は守屋さんのお気に入りですから」。15年秋、守屋の側近といわれた防衛省課長(当時)はある取引業者にこう漏らしていた。

 だが、その課長の目にも、退官を控えた今年に入ってからの守屋の宮崎に対する肩入れぶりは、奇異に映っていた。

 守屋と親しかった社団法人「日米平和・文化交流協会」専務理事の秋山直紀も「省内のうわさで守屋さんと宮崎さんの親密さは聞いていたが、ここまでとは思いもしなかった」と語る。

秋山は元防衛相の久間章生(66)の訪米に毎回随行するなど、久間の信望が厚い。昨年12月、宮崎から「久間先生に独立の報告をしたい」と頼まれ、久間、秋山、宮崎の3人で会食した。

 この夜、秋山は宮崎に社団の理事を辞めるよう求めた。辞任届を持参した宮崎は、急に態度を硬化させていた。

 「宮崎さんは久間さんが山田洋行側に付いて自分の邪魔をしていると思っていたようだ」と秋山は語る。

 今年1月、秋山は防衛省課長を通じて守屋に「宮崎さんとは距離を置いた方がいい」と忠告した。だが、守屋からは音信が途絶えた。

 このころから、事務次官の守屋と大臣の久間の間に、すきま風が吹き始めた。

 防衛省内では当時から、宮崎が商権奪取を図った次期輸送機(CX)エンジンをめぐり、守屋と久間の対立がささやかれていた。

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 防衛省関係者はこう語る。「在日米軍再編をめぐる対米交渉は守屋さんの主導で進められ、大臣だった久間さんは外され気味だった。今年4月に久間さんが訪米した際、重要な会合で疎外される場面があり、報道陣に知られないよう取り繕うのに苦労した」

 今年8月、秋山は退職する守屋の慰労会をセットするため守屋に電話した。久々に電話に出た守屋は「お前が山田洋行の味方をするから話が大きくなったじゃないか」と食ってかかった。慰労会は取りやめになった。

 CXエンジンの契約が宙に浮く中、守屋のいらだちは久間サイドに向けられていたのだ。

11月15日の参院外交防衛委での証人喚問。守屋は接待に同席した政治家として、久間と財務相の額賀福志郎(63)の名を挙げ、久間の同席者として秋山の名も出した。

 飛び出した前・現閣僚の名に野党は色めき立ち、政局への波紋は広がり続けている。

 「国会答弁のプロ」と言われた守屋が政局に投じた“爆弾証言”。その心中には、久間と秋山に対する意趣返しがあったのかもしれない。(敬称・呼称略)

 防衛省で絶大な権力をふるった守屋武昌容疑者が収賄容疑で逮捕された。巨額の利権を生む防衛装備の世界に「大物次官」はどんな足跡を残したのか。守屋容疑者の軌跡を追った。

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2007年11月28日 (水)

石破茂防衛相の記者会見

    石破茂防衛相が守屋氏の事件に対して記者会見を行ったようです。

防衛汚職:「任命した責任ある」前次官逮捕で石破防衛相

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記者会見で質問に答える石破茂防衛相=防衛省で2007年11月28日午後5時31分、三浦博之撮影

福田康夫首相は28日、守屋武昌前防衛事務次官の逮捕について、首相官邸で記者団に「残念なことが起こったと思う。これによって日本の防衛が国民の信頼を失ってしまうことは極めて遺憾だ」と述べた。新テロ対策特別措置法案の国会審議への影響については「影響を与えてはいけない。それはそれというわけにはいかないかもしれないが、割り切って法案審議をきちんとやっていただきたい」と述べた。

 また、石破茂防衛相は防衛省内で緊急記者会見し「防衛行政への信頼を損ねたことに心から深くおわびを申し上げる」と陳謝した。さらに03年8月に自身が守屋容疑者を事務次官に起用したことについて「任命した責任は私にある」と述べた。

 防衛省は今回の事件を受け、利害関係者からの接待行為を禁じた自衛隊員倫理規程を印刷したカードを、全職員と自衛官約27万人に配布。名刺大で防水加工したカードの常時携帯を義務付けた。

 ◇「私がやったのは地雷処理のようなもの」小池元防衛相

 小池百合子元防衛相は28日、前橋市内で講演し、「今日は市ケ谷(東京の防衛省所在地)の環境が激変した日。前次官だけでなく奥様まで逮捕され驚いている」と述べた。在任中に守屋前次官と対立し、その結果、小池氏は防衛相を辞任、守屋前次官は次官退任と“共倒れ”になったことを「私がやったのは地雷処理のようなもの。もっと前の人たちにやっておいてほしかった」と述べ、歴代防衛相を皮肉った。

毎日新聞 2007年11月28日 21時44分 (最終更新時間 11月28日 23時11分)

 テレビでも観ましたが、石破茂防衛相によると、守屋氏は「豪放磊落で、人を引き寄せる魅力がある人物だとか・・・。」、婦人は、「華やかな方・・・。」とのことでした・・・。

しかし、キャスターが税金を無駄に遣っていたことに関しては、「今後、同じようなことが起きないように自衛隊員倫理規程を印刷したカードを配布しました。」と実物を見せていました。

また、防衛省の官僚のトップである事務次官の不正に内部でも、気付いている人がいたのでは? との質問に対して「内部にも闇の部分があったようで、今後、改善しなくてはいけません。」とのこと。

では、防衛省内部で戦闘機等がアメリカと違う価格で納入されているが、今後、税金を無駄に遣うようなことはないか? 第三者機関に審査。調査が必要ではないのか? との質問には、「防衛省内で、しっかりできます。」とのこと・・・。

しかし、自衛隊員や防衛省職員は、守屋氏に対して憤慨しているようです。特に、インド洋での給油活動をしていた自衛隊員の憤慨は激しいものがあるようです。

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2007年11月25日 (日)

やっとというか、ようやくというか・・・

  やっと、山田洋行が刑事告発されるようですね・・・。放置されるのかと疑いましたが・・・。

石破防衛相 山田洋行の刑事告発を指示

2007.11.25 16:54

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石破茂防衛相

 石破茂防衛相は25日、テレビ朝日の番組で、防衛専門商社「山田洋行」が旧防衛庁への装備品納入にからみ水増し請求をしていた問題に関し「防衛庁全体をだまそうとして請求書や見積書を偽造したもので、詐欺であり有印私文書偽造だ。告発はきちんとやれと言っている」と語り、同社の刑事告発を検討するよう省内に指示したことを明らかにした。

 石破氏はまた、「山田洋行のみならず全部調査してみなければいけない」と他社との契約についても水増し請求の有無を調べる意向を表明した。商社を通じて外国メーカーと取引を行う慣行についても「調達庁のようなものを作るべきだということであれば、その方法も探求しなければいけない」と述べ、防衛省自らがメーカーと直接取引する仕組みも検討する考えを示した。

 山田洋行は海上自衛隊救難飛行艇の機材など2件の装備品納入契約で計約360万円を水増し請求していたことが判明しており、防衛省はすでに同社と同社の米国法人を取引停止処分としている。

 山田洋行の社長が陳謝しただけで済む問題とは思ってませんでしたが、水増し請求により支払われた代金は、元々は税金で国民のお金を盗んだのと同様ですから、厳罰に処して欲しいものです!。

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